text : Atelier Iris Eternal Mana

[ 真紅の石 深蒼の眼 ]


その人の蒼い眼が、とても好きだった。

澄み通った、天空の色。
ずっとずっと前を見つめる眼。

どこまでも続く蒼穹の、その果てさえも捉えるのではないかと思えるほど――強い眼。

とても――とても、好きだった。





「エラスムス! 見てくれないか」

その人は、らしくなくはしゃいで扉を開け放った。
こんなに乱暴に物事を扱うなんて――これほど興奮するなんて珍しい。
私は読みふけっていた研究書から顔を上げた。
どこから走ってきたのだろうか、その人は顔を上気させ、肩で息をしていた。

「どうしたんです、パラケルスス。そんなに興奮して」

その人――パラケルススは私の師であった。
といっても、それは表向きでしかなく。
実質は、共同研究者のようなもの。
彼の方が年上で、確かに錬金術の知識も技術も彼の方が勝っているけれど。
彼に教えを請うことはこれまでに度々あったけれど。
先輩と後輩――その呼び方の方がしっくりくる。

「ついに見つけたんだ、賢者の赤水晶の記述がある書物を!
 しかもホログラムまでついている!」

普段は落ち着き払っているパラケルススだが、こと錬金術に関してはそれは当てはまらない。
常に上を、新しいものを求めて奔走している。
新しい錬金術書を手に入れたなら、貪るように知識を吸収する。
調合も、没頭し始めたらテコでも動かない。
まるで、新しいおもちゃを与えられた子どものように。
気の済むまで止まらないのだ。
――もっとも、気が済む、なんて段階はパラケルススの中には存在しない。
私が無理にでもひっぺがしてやっと現実に立ち戻ってくる、といった具合だ。
それほど、パラケルススは錬金術に関しては恐ろしいほど貪欲だった。

熟達の域にまで錬金術を究めたパラケルススだが、それでも向上心は留まることを知らなかった。
世間では世界最高の錬金術士と囁かれても、他人がつける評価なんか自分にとっては何の意味も成さないと、パラケルススはしばしば私にこぼしていた。
自分を満たしてくれるのは、ただひとつ、錬金術のみ。
錬金術と共に在るだけで幸せなのだと――パラケルススは笑うのだ。

そんなパラケルススのことが、私はとても好きだった。
ひとつのものに、どこまでも没頭できるひたむきさも。
究めようとする努力の姿も。
師と仰ぐと、そんな風に見るなと、すぐさま不機嫌な顔になるところも。
無邪気な笑みも。

私にとって、パラケルススは、とても大きな存在だった。

そして。
そんなパラケルススが、自分の領域である錬金術の世界で、私を認めてくれている――それがとてつもなく嬉しい。
そのことを、これ以上の幸いはないと思えるほどに、私はパラケルススが好きだった。

「賢者の赤水晶!?
 一体どこで発見したんです!
 いえ、そんなことより、その生成法はっ」

錬金術士が目標とする『賢者の赤水晶』。
その存在さえも疑わしかったもののレシピが今目の前にある――そう思うと、パラケルススのこの興奮も頷ける。
私も、昂揚する気持ちを抑えられないでいた。

パラケルススが興奮の眼差しで見つめているのはホログラム――立体映像だった。
薄っぺらい、今にも崩れ落ちそうなほどボロボロのページ、一体いつのものだと疑いたくなるくらい昔のもののようだが。
そこに結集された技術がどれだけ高いかは、その内容と、このホログラムが教えてくれている。
紙に投影装置を、何らかの技術で以って組み込んでいる。
それが、何十、何百――いや、下手をしたら何千の時を越えて、まだ作動している。

この身が震えるのは、その知識・技術が自分の及ばないことに対する恐怖だろうか。
それともそんな稀有なものに巡り会うことができた喜びからくる興奮だろうか。

一通り記述に目を通してみたものの、そこに記されているのは古代言語で、今の私にも分かる部分は僅かながらあったのだが。
そう簡単には解読できそうになかった。
パラケルススはどうだろうか、と私と同じように記述に目を通していたハズの彼を見て。
そして。

心臓が、跳ねた。

恐怖か、喜びか――あまりの知識に私は判断することができなかったが。
パラケルススは、あきらかに喜びを感じているようだった。

頬は興奮に紅潮し、瞳は一心にホログラムを見つめている。
澄みわたる蒼い目が、紅に輝く水晶を捉えて放さなかった。

私が慕ってやまないパラケルススの表情だった。
いや、これまでに見た中で一番魅力的だ。
あまりの美しさに息を呑む。
その音さえも聞かれはしないだろうか、見とれているなんて気付かれて、この表情が消えてしまうのは嫌だな――賢者の赤水晶のレシピの発見という興奮は、パラケルススの表情を前にして、別の感情を私の中に呼び起こした。
これまでに感じていた親愛の情の、その一線を越えた場所にある感情に気付かされる。

『俺を満たしてくれるのは、ただひとつ、錬金術のみだ。
 錬金術と共に在るだけで、俺は幸せなんだよ』

瞬間、そんな声が聞こえた気がして、私の意識は現実に立ち戻る。
何を考えていたんだと己を叱責すると同時に、しかし、寂しさも憶えてしまうのだ。
嫉妬も感じずにいられなかった。
パラケルススの意識を、そこまで捉えて放さない錬金術に。
そして、今、最高の表情をパラケルススの中から引き出した、賢者の赤水晶にまで――

「本当に、キレイ、だ――」

唐突に、パラケルススがこぼした。
彼は、没頭していればしているほど、無口になる――ハズ、だった。
私の存在など忘れてしまうほどに、自分と錬金術だけが存在する世界へと飛んでしまう。
だからこの言葉は、私に対して発せられた言葉であるはずがなかった。
声に出さずにいられない程、美しい――パラケルススのこの言葉は、それを意味していた。

ツキリ、と痛む胸許を、服の上から掻き掴む。
私のそんな変化などおかまいなしに、パラケルススの視線はホログラムに注がれている。

「真っ赤――真紅。
 人々の身体に流れる、尊き血と同じ色。
 錬金術の、知識と技術の集大成――血と同じ、真紅」

ぽつり、ぽつり 沈黙の中に落とされる言葉は、重く、私の脳に刻み込まれていく。
心の琴線を震わせる。
今までに聞いたことのない、深い声――

常とは異なるパラケルススに、彼がどこかへ行ってしまいそうな不安に駆られ。
戻ってきてくれと縋るように視線を向けた私が見たものは。

赤水晶を映し出す、パラケルススの瞳。

仄暗い、静かな炎を宿した。
蒼くはない、彼の瞳だった。

「まりょくをひめしむげんのいのちのみなもと、
 じげんのかなたにまでえいきょうをおよぼすちからのぞうふくませき、
 あらぶるちからをいのままにあやつるせいじゃのつえ、
 このよとあのよのことわりをしるすしるべ――
 それらがたがいをおさえあいたかめあうことで、それはそうせいされる。
 まなとぶっしつと、いのちをむすぶあかいいし」

指は書面の古代文字をなぞる。
何の力を以ってしてか、彼の指が触れた文字が、仄かな光を帯びていく。

滔々と、抑揚なく紡がれる言葉は、己に言い聞かせる以外の何物でもなく。
寂しさと焦燥が、一気に募る。

「『この世とあの世の理を記す導』――それに相応しきもの……『深緑のタブレット』……」

その言葉に、私は息を呑む。
『深緑のタブレット』――それは、つい先日、理論だけは完成したものの、調合に必要なアイテムがあまりに稀少すぎるため、実物を見ることなく封印していたレシピだった。
キーとなるアイテム――古代の知識を内に秘めし遺物、それを犠牲にしてまで、完成させる必要はないだろう。
それが、レシピを完成のサポートをしていた私の意見だった。
メインに研究していたパラケルススも、どこか名残惜しげではあったが、私の意見に納得し、最終形態をみることなく、レシピをまとめるに留めていたのだが。

パラケルススの口は、深緑のタブレットの生成法を紡ぎ始めていた。
感情のこもっていない声だが、眼はホログラムに囚われたまま、歪んだ喜色を浮かべ始めていた。

思わず私は、ホログラムからパラケルススを引き剥がし、肩を掴みその眼を覗き込んだ。
彼の眼が、私だけを映すように。
戻ってきてくれと願うのではない、戻って来いと、強い意思を込めて見つめた。

「パラケルスス――私たちは、決めましたよね。
 錬金術は、人々を幸せにする技術。
 幸福を生成する技術なのに、何かを犠牲にするのはおかしいだろうと――そう、話し合いましたよね」

理想論、奇麗事だと罵られる自覚もあった。
それでも。
世界最高と言われるパラケルススのその知識と技術が穢れてしまうのは嫌だったのだ。
いくら本人が世間の目など気にしないと言っていても、私が我慢ならなかった。
パラケルススと、彼の高めた技術が、人々に忌み嫌われるなど。

錬金術に没頭してしまえば、周りも何も見えなくなってしまうパラケルススに、私は何度も諭してきたのだ。
教えを請うている立場の私が言えた義理ではないのかもしれない。
それでも懇々と。
根気よく。
いつかわかってくれると信じて。

初めは新しい境地のための犠牲は仕方ないと渋っていたパラケルススだが、やがて私の論に耳を貸してくれるようになっていた。
何かを犠牲にすることなく、それでもなお究めることができたなら――それこそ究極と呼べるものかもしれないなと、パラケルススは言ってくれたのだ。

それなのに。

パラケルススは、私が彼に伝えたかったことも、私に言った言葉も、全て忘れてしまったかのように。
ひたすらに、赤水晶を完成させようと理論を展開させている。

彼は知らないのだろう。
あの時――彼が、私に理解を示し始めてくれた時、私がどれだけ嬉しかったか。

私が彼に手段を選ばぬような道をとってほしくないと思った原因となる感情については、もとより伝えるつもりはなかった。
だから、知らないのも当然と言えば当然なのだ。

だが、あの時は。

気の遠くなるような量の錬金術書を読み、論理の組み立てに少しは長けてきたと人に胸を張ることのできる私ですら、その時の感情を詳細に綴ることができない――それほど嬉しかったのだ。

その時の気持ちを踏みにじられ、砕かれ――否定されたようで。
それを信じたくなくて、彼の声で否定などしていないと聞きたくて。
真摯に見つめた私に、しかし彼は。
薄く、笑うだけだった。

その瞳は、もはや真紅にとり憑かれていたのだ――――





その時を境に、彼は変わってしまった。
同時に、私と彼の関係も。

真紅の賢者の水晶に魅了されたパラケルススは、2人で使っていた工房を出て、その姿を眩ませた。
研究に没頭し、賢者の赤水晶に製作者の人格の一部を抽入する理論を編み出し、そして、マナの力を操り、己のものとしてしまう魔剣――アゾットをも生み出す。
世界を統べる原初マナ、リリスの力を我が物とするために。

誰もがその脅威に怯える中、私は彼に立ち向かうことを決意した。
彼を止めなければ、世界が大変なことになる――そう賛同してくれる人が、私を支えてくれたが。
しかし、人々の意識と私の目指すものはずれていた。

私はただ、彼に戻ってきてほしかっただけなのだ。
昔のような、純粋に何かをもとめる少年のような彼に。
2人で楽しく暮らしたあの日々に。

1度世界に牙を剥いたパラケルススは、再び世界に迎え入れられることはないだろう。
迎え入れられる可能性があったとしても、それが現実となるには多くの問題を乗り越えねばならず、結局成し遂げられることがないまま、彼はその生涯を閉じてしまうかもしれない。

それでも私は彼に戻ってきてほしかった。
世界の誰もが彼を否定しても、私だけは彼の味方でいるから。
力を追い求めるより――私を求めてくれないか、と。
そう、思っていたのだ。

私がパラケルススに対抗するために作ったもう1つのアゾットには、その願いが込められていた。

彼は、自分が魅了された賢者の赤水晶にちなみ、そして人々の血をいくら犠牲にしても構わないとの意思の表れから、その剣を『真紅』と名づけていたが。
私が作ったものも、同様に賢者の赤水晶がベースになっていたのだから、その名が相応しいのだろうが。

それでも私は、自らが作った剣にこの名を付けた。

『深蒼』

それは昔のあの人の眼だ。

澄み通った、天空の色。
ずっとずっと前を見つめる眼。
どこまでも続く蒼穹の、その果てさえも捉えるのではないかと思えるほど――強い眼。

力にとり憑かれた紅い眼ではない、包み込むような空の蒼。
その眼を持つ彼に、戻ってほしかったから。

戦局は、私に願いを成就させることを許さなかったけれど。
その願いは、いつまでも私の奥底に流れていた。
彼を打ち滅ぼさなくてはならなかった時も――その亡骸を、この腕の中に抱きすくめた時も。

いつか戻ってきて、私のところに。
2人寄り添いあい、安らかな時を迎えよう。
人々が、幸福のために錬金術を究めていく様を、穏やかな時を、2人で見守っていこう――

血にまみれ、それこそ真紅に染まってしまったパラケルススは。
蒼い眼を私に向けてくれることも、その口を開くこともない彼は。
私がこの想いを告げても、理解を示してくれることはなかった。
けれど、否定することもない。
私には、もう、それでよかった。
――それだけで十分だと、思うことしかできなかった。

一連の残務処理をこなした私は、彼の後を追うように、平和を身を以って体感する間もなくその生涯を閉じた。
錬金術を封印したガルドも、錬金術の消失したベルクハイデも、その双方が気がかりではあったが。
その他にも気にすべきことはあったが。
最期の瞬間に思考を支配していたのは、彼以外にいなかった。

脳裏に描かれていたのは、どこまでも高く、遠くへ続く蒼い空。
それを背景に立つ彼。
蒼い眼――それは、蒼穹よりも澄み渡っていて。

深蒼の名がこの世の何よりも相応しいと思える眼で。

彼は、微笑み。
私に手を差し伸べてくれていた。

それが、私の願いが見せた幻でしかないとわかっていても。
最期のその瞬間だけは、私は幸せだったのだ。

私にとっては、彼の手を取り、彼に包み込まれた瞬間に違いなかったから――――



初のイリアト2創作が主人公出番ナシ…ってのも悲しい気がします。ね
ということで、ここまでお読みいただきありがとうございました。

最終ダンジョンで、エラスムスにとってパラケルススは父のような存在だったと深蒼は語っていましたが。
この話の構想を練りだしたのがその前だったので、その時の妄想の設定のまま、欲望のおもむくまま(笑)書き進めさせていただきました。
その設定では、

★パラケルススとエラスムスの年の差は6〜8歳くらい(今思えば、フェルトとケイオスくらい離れてる…ってくらいでもいいかも)
★16、7歳くらいの時にすでに錬金術の天才だったパラケルススに憧れてエラスムスは錬金術を始めた
★パラケルススは、師にエラスムスに錬金術を教えてやるように言われて(「人に教えることができることも一人前の証だ」とかなんとか言われて)、エラスムスと関わるようになる
★それまで一匹狼だったパラケルススだが、飲み込みの早いエラスムスに、コイツなら受け入れても構わないか、という気になる。エラスムスの好き好きオーラ(笑)に、鈍感ゆえ気付いてはいなかったようだが、満更でもなかった様子。…多分

……というカンジでした。
いや〜、雪咲の好みが大いに反映されてますね(笑)
こういう話が作れるようなアトリエシリーズ、作ってくれないかしら。ねぇ?
ちなみに。ケイオスの身体を乗っ取ったパラケルススは、ケイオスの身体をベースにしているからあの姿なのです……多分。
そうしないと捏造だらけになってしまいますね、この話は。