text : DRAGON QUEST V
[ real heart [1] ]
『これは……、この痛みは一体何なのだろうか……』
今なら……、そう、今なら、分かる。
でも、それを口に出しては……いけない。
『これで……これで、いいんだ……』
あの時、俺は気づいて、しまった。
でも、もう戻れないんだ……。
過ぎ去った時を取り戻すことはできない。
起こってしまったことを、自分が起こした行動を、白紙に戻すことはできない。
ただ俺にできることは。
心の中で、こうして過去を悔い、今の関係でいられること以上に幸せがないといったふうに装うだけ。
それぞれの場所で築かれる、それぞれの生活。
それが交叉することはあっても、心の奥底にある、俺の望む形で訪れるものではないとわかっているから。
未来に期待することは、許されない。
ただこの世に、同時に在ることができることの幸せを、噛み締めるだけ――
◇
たとえば。
荒れ果て、枯れ果てた環境に。
一輪の花が咲いたのなら。
誰だって注目するものではないだろうか。
その花が意思を持っていたとしたら。
蜜を集める蝶や蜂は、我こそはとその花を手に入れようと躍起になるだろう。
その花が自分とは別の蝶を気にいっているのだとしたら。
どうして自分じゃないんだと憤り、もやもやとした感情を抱くのではないだろうか。
そう、俺のその時の気持ちは、まさにそんな感じだった。
そう表現するのがぴったりだと思っていたし、それ以外の答えなんて考えられなかった。
「マリア……平気か?
ったく、こんなか弱い女の子に重労働させるなんて、ホントなんて教団だよ」
次の太鼓の音が鳴り響くまでに決められたノルマをこなさなくてはならない。
すっかり慣れた俺は――決して慣れたくて慣れたわけでもないが――監視官の目を盗んで手を抜くことを覚えていたが。
奴隷として現場に連れてこられて間もないマリアは、身体がまずついていっていないようだった。
マリアが運ぼうとしていた大岩とマリアの間に身体を滑り込ませ、マリアには俺がここまで運んできた軽めの岩を顎でしゃくった。
俺の意図に気付いたマリアは、ぺこりと頭を下げる。
「いえ……何も知らなかった私にも、責はあるのです」
「だからって、マリアがこんな目に遭うことを正当化していいわけじゃないだろう」
「そう、ですね。
ありがとうございます、ヘンリーさん。
……あの、ところでイザナさんは……?」
ホラ、こんな時。
胸が疼くんだ。
マリアがイザナのことを気にかけたとき、決まって。
マリアがイザナを気に入るのは納得できる。
イザナほど、こんな劣悪な環境でも強く凛々しく美しく在ることができる人間はいない。
俺は、本当は自分本位な人間だ。
これでもだいぶ改まったとは思うが、元来の王子様気質がまだ抜けていないらしい。
俺が変われたのは、イザナの存在が大きかった。
こんな劣悪な環境に強制的におかれていても、誰もが自分が生きるだけで精一杯な環境でも、いつでも他人を気遣って。
イザナが気遣った相手よりも、イザナの方が先に毀れてしまうのではないかと、俺はいつもハラハラしていた。
そんなイザナを庇うために、俺も他人を気遣うことを憶えた。
イザナなら、今のこの状況では、本当に心の底からマリアを気遣うために手を貸していたことだろう。
確かに俺もマリアのことを心配して手を貸したわけだが、そこには「下心」というオマケもついている。
マリアにいい印象を持たれたい、気を引きたい――どこかでそう思っていることは否めない。
俺はイザナとは違う。
こんな状況でも、イザナは強い。
そんなイザナの強さに近づくために、魅力的なステータスがほしかったのかもしれない。
マリアという、荒野に咲いた一輪の花を自分に振り向かせて――イザナに勝る点を、ひとつでも持っていたかったのかもしれない。
「イザナは――、今は下のフロアを担当してる。
ホントは、こっち担当だったんだが――」
下のフロアは、誰もが外れたいと願う過酷な労働を強いられる環境だった。
駆り出された奴隷は無事に帰ってくることはないと言われるような――それなのにイザナは、不運にも回されてしまったひとりの老人のために、代役を買って出たのだった。
「そう、なんですか……。
昨夜、ご自身も疲れていらっしゃったはずなのに、私の不注意でこしらえてしまった傷を回復魔法で癒してくれたんです。
そのお礼をと思ったのですが……」
「それなら俺が伝えておく。
直接伝えたいとは思うが……今日はアイツも辛いだろうから」
「はい……ありがとうございます……」
監視官がこちらを窺っている。
俺は早々にマリアの傍から離れた。
気になる女性と話す機会を奪いやがって――なんて、いつもの俺ならそう監視官を恨んだだろうに。
けれど、この時は何故か、それがいい潮時になったと、そう思ってしまった。
残念そうな貌をするマリアに、心はささくれ立ってしまう。
心にもやもやとしたものが広がっていた。
こんな状況で、マリアともっと話していたいとは思わなかった。
そのもやが、何が原因で発生したものなのか、俺はその原因を探ることはできない。
苛々しかけた頭は、やはりあの答えに辿り着こうとする。
これは、きっと嫉妬というもので。
マリアが気にかけるイザナに向かう気持ちなのだと。
安易に、世間にありふれた尺度で考えた。
イザナは俺も認めるイイ男で、マリアがイザナのことを好きになることは容易く考えられることで。
俺ではない、イザナを見ているから――だからこそ、俺はこんなに苛立っているのだと。
他の可能性の存在など、考えもせずに――。
◇
遥か遠い昔に失われたという移動魔法ルーラ。
脳裏に思い浮かべた場所へと、瞬時に運んでくれる魔法。
早速試してみろと、僕にその魔法を伝授してくれたベネットおじいさんに言われて、その行き先に僕が選んだのは。
もちろん、ラインハットだった。
僕には、故郷というものがない。
家と呼ばれる場所はあるにはあるけれど――それはある意味正しくない。
サンタローズは、10年も前に滅びてしまったから。
土地としては存在しているかもしれないけれど、それは「故郷だった場所」でしかなく、帰ってきた僕を出迎えてくれる土地というわけではない。
サンタローズが滅びて、では僕を迎えている人が他にいるだろうかと考えて。
その時脳裏に浮かんだのは幼馴染みのビアンカのことだったけれど。
そのビアンカも、アルカパの街を離れていて。
僕は、完全に故郷を失ったのだった。
でも――。
あの時――ラインハットを支配していたニセ太后を倒し、ラインハットに平穏を取り戻した時。
僕とヘンリーが別の道を歩むことを決めたあの時。
僕に故郷がないことを知っているヘンリーは、僕にこう言ってくれた。
『これからは、俺のいるところがお前の故郷だ』
だから、いつでも帰って来い――そう、言ってくれたんだ。
その時、僕がどれだけ救われた気がしたか。
ヘンリーは知っているだろうか。
あの時ヘンリーは、子分のくせに親分のもとを離れるんだから、たまには親分に顔を見せに来い、そう言ってるんだ――なんて、照れて後でつけたしていたけれど。
僕は照れているのを知って笑っているフリをしたけれど。
本当は、涙が出るほど嬉しかったんだ。
あぁ、僕の帰る場所は、このヘンリーがいる場所なんだ、って。
そう、心から思うことができて。
本当に、本当に。
嬉しかった。
けれど。
僕に、新しく故郷ができて。
その故郷への、初めての里帰りで。
僕は――
「ヘンリー、結婚……するんだ」
ヘンリーの、結婚を知った。
「そうなんだよ。
いやー、お前が今来てくれてよかったよ。
結婚式に招待しようと思って、捜索隊を派遣するところだったからさ」
ヘンリーの、とても、とても、幸福そうな顔。
本当なら、ヘンリーのその顔に、友人のおめでたい報せに、僕も幸せになるはずだったのに。
どうしてだろう、そんな気持ちにはならなかった。
「マリアはさ、イザナのことが好きだったみたいなんだけど。
俺がアタックしまくって。
ついに振り向かせたのさ」
相手は、マリアなんだ――。
そっか、確かにヘンリーは奴隷だった頃からマリアのこと、気にかけていたもんね。
ラーの鏡を手に入れるためだからって、マリアを危険な塔へ連れて行くこと、本当は嫌がってた――マリアの身を心配して。
大切な人、だったんだもんね、ヘンリーにとって、マリアは。
そのマリアと結ばれて――本当によかったね、ヘンリー。
そう、言うべきなんだ。
僕は。
でも。
ツキリ。
胸が痛んで、祝福のコトバを、ヘンリーに贈れない。
「何だよ、イザナ。
お前、そんな顔して――。
自分に惚れてたマリアを俺にとられたのが、そんな悔しいわけ?」
そんな、顔?
どんな顔なんだろう。
どんな顔してるのかわかれば、この痛みがどこからきているのかわかるのかな。
「そんなハズないだろ、ヘンリー。
それに、マリアは初めからヘンリーのこと好きだったんだから」
だから、僕が悔しがるなんて、お門違いだよ。
現に僕は、マリアが僕に好意を持っていてくれているらしいと知っても。
マリアには悪いとも思うけれど――微塵も心動かされていないんだから。
こんな僕に好意を持ってくれるなんてありがたい――人類愛のような、そんな愛しさをただ感じるだけ。
ヘンリーがマリアに持っていたような感情なんて、僕はマリアに持っていないんだよ。
じゃあ今、僕は何を思っているのだろう。
この痛みは、一体何を意味しているのだろう……
考えるけれど、僕にはその痛みに名前をつけることはできなかった。
でも。
漠然とした痛みでしかなくて、痛みだからといって身悶えて死んでしまうほどの痛みではないから。
名前がわからないからといって気持ち悪くて仕方ないというわけでもないから。
僕は、その痛みについては、もう考えないことにした。
そうすれば、痛みを感じることが普通になって、いつしかそれが特別なことではないと感じるようになるだろうから。
そうなるのを、僕は待つことにしたんだ。
きっと、故郷が僕の知る形とは異なってしまったこと――ヘンリーだけが待っている姿ではなく、その隣にいつの間にかマリアもいるようになったこと、時の流れ――それを、僕は寂しく感じているんだ。
けれど、変わらないものなんて無いんだし。
故郷も、もれなくそれに含まれている。
離れているからこそ、その変化を機敏に感じる。
それが、故郷を離れ、そしてまた帰っていくことの醍醐味なのかもしれないじゃないか。
――そう、自分に言い聞かせて。
幸せそうなヘンリーを見ながら。
静かに、この痛みと付き合っていくことを、僕はこの時決めたんだ。
◇
招待状が、届いた。
差出人は、イザナの代理人。
サラボナの大富豪、ルドマン氏だ。
俺とマリアの結婚式に参列してくれたイザナに、デールが天空の武具の情報を伝えていた。
サラボナの富豪がそれを所有しているとのことだったが、どうやらイザナはその富豪と深い関係を持つことに成功したらしい。
きっと、天空の武具についても、何らかの進展があったに違いない。
勇者探しというあいつの目的も、一歩前に進んだということだ。
それを嬉しく感じつつも、俺は、別の衝撃を受けていた。
招待状――それは、イザナと、ビアンカの、結婚式の招待状だった。
結婚。
イザナが、あのビアンカと。
ビアンカという幼馴染みがいることを、俺はイザナから聞いて知っていた。
言葉の端々から、どれだけ彼女が大切かも。
自分を知っている人のいる場所を故郷というのなら。
サンタローズが滅び、アルカパの街にビアンカの存在を確かめることのできなかったイザナは故郷を持たないことになる。
アルカパでのイザナの落胆を見たとき、そのこともイザナの悲しみを大きくしているのではないかと、そう思った。
だから俺は。
あの時、イザナに言ったのだ。
『これからは、俺のいるところがお前の故郷だ』
そうすることで、イザナの心が少しでも救われるなら、と。
俺は、そう思っていた……はずだ。
けれど。
自分のしたことは間違っていたのではないだろうか――俺は、そう考えるようになっていた。
それぞれ別の道を歩み始めて、初めてイザナがラインハットを訪れてくれた時――イザナが、俺に、あの表情を見せた時から。
マリアにプロポーズして、結婚が決まって。
俺は、その時これ以上ないくらいに幸せだった。
きっとイザナも、俺達を祝福してくれる――そう思っていた。
確かにイザナは俺達を祝福してくれた、けれど。
そのコトバは、どこかぎこちなかった。
10年も一緒にいた俺だからこそ分かる変化。
言葉と言葉の合間に垣間見える、寂しげな、壊れてしまいそうな表情。
哀しげな視線。
一瞬で消えてしまったということに、俺は一層の胸の痛みを感じることになる。
どうしてそんな表情をする?
一瞬しか見せなかったのは、見せたくないと自覚しているからだろう?
そう思うのは、どうしてなんだ?
訊いても、きっとイザナを追い詰めるだけだから。
俺は、からかい口調で指摘することしかできない。
イザナは、いつもの調子で微笑を絶やさずにいたけれど。
それは痛々しく感じるもので。
俺は、その表情を忘れることができなかった。
何がイザナにあんな表情をさせたのか、俺には分からなかった。
けれど、イザナが何かに傷ついたことは事実で。
その傷が癒えるのを確認する間もなく、イザナは再び旅立っていった。
デールが手に入れた天空の武具の情報の真偽を確かめるために。
そして、今。
イザナの結婚式の招待状が届いた。
結婚、する。
イザナが。
結婚というものが、当事者にどれだけの幸福をもたらしてくれるか。
俺は身をもって知っている。
そして。
何か不安があっては結婚できないということも、俺は知っている。
だからきっと。
イザナは。
先日俺を訪ねたことによって作っただろう傷を、きっちり癒したのだろう。
癒して、まっさらな状態で。
結婚を、決めた。
幼馴染みのビアンカと再会したことが、イザナの傷を癒したのだろうか。
そう思うと。
ツキリ。
また、胸が疼く。
痛む。
マリアがイザナのことを気にしていた時と同じようで、けれどもまた違う痛み。
もっと、はっきりと感じる、痛み。
これは……、この痛みは一体何なのだろうか……
この痛みは、一体何を意味しているのか……
考えれば考えるだけ、一層痛みは酷くなる。
イザナに幸せが訪れたということは、俺にとっても喜ぶべきことのはずなのに。
どうして、こんなふうに痛みを感じるのか。
すぐにでもサラボナに駆けつけなければと思うのに。
何故か、足は竦んでしまったかのように中々思うように動かなかった。
親友の嬉しい報せに、感動のあまり動けないのだと、共に招待状に見入っていたマリアに思われたのは幸いだった。
自分でも説明できない己の現状に、俺は混乱していた。
まだ俺は、その時、気付くことができなかったんだ――
◇
父さんはグランバニアの王で。
僕の故郷は、グランバニアにあった。
それを知った僕は。
ヘンリーにもこのことを知らせなければならないと。
大臣にはまだ僕の身分を公にしてはいけないと釘を刺されてはいたけれど。
妊娠して安静にしていなければならないビアンカをグランバニアに残し、単身ラインハットに向かった。
ヘンリーは、奴隷から解放されてからことあるごとに僕にこう言っていたものだ。
『今までの人生が、どう考えても人並み以下だったからな。
お前にはせめて、人並みかそれ以上の幸せを手に入れて欲しいんだよ』
だから、なのだろう。
故郷を失ってしまった僕に、故郷を与えてくれた。
嬉しかった、けれど。
あの時僕は。
ヘンリーの前で、どうやら傷ついたような顔をしてしまっていたらしい。
そんな僕に、ヘンリーもまた、心を痛めている――
それを知ったのは。
僕の結婚式に参列してくれたヘンリーの顔を見たときだ。
どこか空元気なような。
空虚な笑顔を表面に貼りつけたような。
悟らせまいと努力する様が、いっそ痛々しくて。
僕は、見て見ぬフリをするしかなかったけれど。
きっと、元凶は僕なんだろうと。
僕は、気付いてしまっていた。
いつまでも気にしなくていいんだよ?
痛みは、もう痛みと感じないところまで来ているから。
そうやって、ヘンリーが痛そうな顔をしていると、余計気になってしまうから。
僕のためを想うなら、ヘンリーはそんな顔、しないでよ。
ずっとずっと、笑っていてよ。
それが僕の願いだよ。
それとも、僕がまだ幸せじゃないからなのかな。
ヘンリーは僕に、帰る場所をくれたけれど。
でもヘンリーはきっと。
僕に故郷を与えることに失敗したと、そう思ってるのかな。
結婚はしたけれど、故郷を持っていない。
まだ、人並み、じゃないって、そう考えてる?
本当は、人並みかどうかなんて、関係ないとは思うんだ。
幸せは人それぞれだから。
人は概して、自分の基準が世間の普通と勘違いするものだから。
結局、人並みの幸せ、なんていうものは、現状の幸せだったり、するんじゃないかな――って、僕は最近、思うんだよ。
僕は今、幸せだよ?
大切な大切な、妻がいて。
もうすぐ子どもも生まれて。
父さんの遺した願いを成就させるまでは、本当の幸せを得ることはできないと思うけれど。
今のままでも、幸せだと、僕は胸を張って言うことができるよ?
でもそれじゃあ。
ヘンリーは、納得してくれないかもしれないね。
誰もが持っているように、故郷を持てば。
ヘンリーも、少しは安心してくれるかな。
僕にも帰りを待っていてくれる人がいるということ、知ってもらえれば。
ヘンリーの言う、人並みの幸せに一歩近づいたと。
安心して、笑っていてくれるかな。
それが、僕の幸せなんだよ。
大切な人に、笑って生きてもらうことが。
幸せに、生きてもらうことが。
ヘンリーの幸せなくして、僕の幸せはありえない。
ビアンカや、これから生まれてくる僕の子どもや、小さい頃から僕を見守ってくれたサンチョの幸せもそうだけれど。
何より、僕の人生の中で、一番長い時間を過ごした君の。
ヘンリーの幸せが、僕の幸せでもあるんだよ。
だから、笑っていてよ。
笑っていてくれれば、今はもう慣れてしまって、そんなに気にすることは無いけれど、でも確かに胸で疼く痛みも。
きっと、薄らいでいくだろうから――。
長いので分けました。
例の如く「お題を2つ消化してしまえ!」思想が働きまして…
その前に、この作品贈物だろうが…
お題にすり替えてしまってすみません……
どういう経緯で生まれた作品かは、後編のアトガキにて……