text : DRAGON QUEST V

[ real heart [2] ]


『ヘンリー……。
 ヘンリーは、マリアのコト、好き……?』

結婚式の直前、俺はイザナの控え室を訪ねていた。
その時、イザナが俺に投げかけた言葉だ。

俺は――

『もちろん。
 決まってるだろ』

そう、答えた。

マリアと結婚して。
俺は。
確かに幸せだ。
マリア以上の女性なんて、俺は知らない。
奴隷を長い間していた俺は、ある意味世間に疎かった。
奴隷から解放されて出会った人間の数なんて、そう多くは無い。
けれど、その間に会った女性の中で、マリアは心も見目も一番美しい。
俺に幸せをくれる女性、かけがえの無い女性という点では、マリアに勝る者なんて誰もいない。

俺の答えに、イザナは。

『そうだよね。
 結婚、したんだもんね』

満足したように、笑った。
けれど俺には。
ラインハットであの時見せた表情が、穏やかな笑顔の向こうに見えた気がしていた。
その表情に、俺の心臓は鷲掴みされたように収縮した。
痛みが、より顕著になった。

マリア以上の女性を、俺は知らない。
出会った女性の中で、一番の存在だ。

けれど。

出会った「スベテの人」の中で、一番の存在は――?

答えを導き出すのを待たず、イザナが、真っ直ぐに俺を見つめる。
今までずっと、黒真珠のようだ、夜を思わせる安息を与える色だと思っていた瞳は。
この時ばかりは、俺を吸い込み存在を消してしまいそうな、どこまでも深い真の闇が広がっているように思えた。

『僕も、ビアンカのコト、好きだから――結婚するよ。
 ヘンリーが、そうしたように』

ズキリ。

今度は、重い痛みが、俺を襲っていた。

俺が、結婚したから?
お前も、結婚するのか?

俺が結婚していなかったら。
お前は、結婚しなかったのか……?

ジクジクと、痛みは広がっていく。
身体を蝕んでいく。

色鮮やかな花びらが舞い、人々が祝福する中。
イザナとビアンカは。
幸せそうに教会から手に手をとって出てくる。
小鳥の囀りさえ、2人の門出を祝うように歌っていると。
吟遊詩人は祝福の詩を贈っていた。
世界を覆い始める闇への不安も、この時ばかりは幸福の光に消し去ってしまったかのようで。
誰もが踊り歌い、祝い歓喜した。

俺は、その様子を。
どこか別世界の出来事のように感じていた。
表面は、誰よりもイザナのことを祝福しているようで。
けれど、一歩後ろで、他人のようにその光景を見ていた。

世界の何もかもが婚姻を結んだ2人を祝福して、色鮮やかに輝いていたはずなのに。
俺の目に甦るその光景は、いつも色を失った、モノクロの世界で再現されていた。

走馬灯のように、あの時の映像が次々に脳裏に浮かぶ。
俺は、無感動にそれを見つめているだけ。

やがて、場面は切り替わる。
王家の試練とやらを、イザナが受けに行く前、俺を訪ねてくれた時へと――。

『グランバニアが、僕の生まれたところだったみたいなんだ』

パパスは、グランバニアの王で。
その息子のイザナは、グランバニアの王子であると。
衝撃の事実を、俺に報告しに来てくれた。

『サンチョが、僕を出迎えてくれたよ。
 今は、ビアンカが待っていてくれている。
 僕もやっと、人並みに“故郷”を持つことができたよ』

ぎこちないけれど、笑みを見せるイザナ。
どこか必死に見えて――俺は、イザナのその言葉に、心の奥底を抉られたような気がしたことなど、決してイザナには知られまいと――俺こそ必死に本心を隠していた。

こんなこと言うのは何だけど。
僕、本当は王位なんかどうでもいいんだよね。
父さんの願いを成就させられるなら、それでいい。
あとは、みんなが幸せならそれでいいんだよ。
――でも、そういうわけにはいかないからね。
そろそろ行くよ。
みんなの期待に応えるためにも、試練を受けてくるね。

どこか、何かを堪えたような。
そんな笑みを浮かべて。
イザナは俺に背を向けた。

去り際に、ちらりと一瞥した眼に。

俺は、目の奥が焼けつくような。
呼吸が、止まってしまいそうな。
そんな衝撃を受けた。

最後まで、イザナは俺に静かな笑みと、穏やかな言葉を向けてくれたけれど。

その瞳が。

語っているような気がした。

へんりーノ隣ッテイウ故郷ナンカ、モウ必要ナイヨ
ダッテ、アノ時へんりーガクレタ故郷ハ、今ハモウ、ナイジャナイカ
へんりーノ隣ニハモウ、まりあッテイウ存在ガ居ル
僕ノ帰ルコトノデキル場所ナンカ、らいんはっとニハ……へんりーノ隣ニハ無インダ
ソンナ風ニ変エタノハ、へんりー自身ダロウ?

「違うッ!
 違うんだ、イザナッ!!!!」

仄かな月明かりが、天井まで届く窓から差し込んでいる。
青白い光――そう、世界にはしっかり、色がついている。
それは、夢ではない証拠だ。
けれど、思う。
どうしてこんな風に、色が付いて見えるのか。
付いて見えなくて当然なのに――イザナのいない世界なんて、空虚以外のなんでもないのに。

俺はシーツを握り締め、ベッドに身体を起こしていた。
身体にかかっているものも、身体の下にあるシーツも、汗を含んでぐっしょりとしている。
夜の静寂に、自分の息だけが荒く木霊している。

イザナが、ラインハットを訪ねなくなって。
まもなく1年が経つ。
ラインハットだけではない、グランバニアにも、久しく姿を見せていないのだという。
――行方不明。
生死さえ、わからない状態だった。

イザナが最後にラインハットを訪ねてから。
俺が、姿を見せないイザナに焦燥を覚えた頃。
グランバニアから使いがやってきた。
イザナが立ち寄らなかったかと。
必死の形相――何かあったのかと、訊ねない方がおかしいだろう。

その使いによると。
イザナは、魔物に攫われたビアンカを救出に向かったまま、ビアンカもろとも消息が掴めないでいるのだという。

その話に、俺は、大きな衝撃を受けながらも。
どこかで、安心もしていた。

奴隷から解放されても。
それぞれ別の道を歩み始めても。
俺とイザナの人生は繋がっていた――少なくとも、俺はそう思っていた。

俺はラインハットで、デールを助けながら国を守り。
イザナはパパスの遺言に従い、母を救うべく天空の勇者を探していた。
果ての見えない旅を続けながら、けれどもイザナは、度々俺を訪ねてくれた。
離れていた時間なんて、そんなに長くは無かった。

けれど、あの日。
イザナが最後に俺を訪ねてくれた日から。
今までにないほど、長い時間が経っていた。
これほど離れていたことなんて、ない。
日に日に、不安は大きくなっていた。

その原因を。
俺は。
ついにアイツに愛想を尽かされたのだと――そう、思っていたんだ。
あの眼が、そんな風に思わせていた。

けれど、それは俺の思い違いで。
今は誰も、イザナの意思を確認できない状態だと知って。
俺のことを、嫌ってしまったのだという確証を得るのが先に延びて。
俺は、心底安堵していたのだ。

国を預かる者として、この考え方はどうかとも思うが。
イザナの生死は、俺にとって、ラインハットの興亡よりも重大なことだ。
そして、その生死よりも。
俺は、イザナにどう思われているか――そちらの方が、大事に思えてしまっていた。

なんと浅ましいことか。
自分のそんな心を自覚した時、愕然とした。
もう2度と会えないかもしれないという可能性を考えるよりも、嫌われている可能性を考える方が怖いなんて。
ともすれば、嫌われているくらいなら、いっそ、イザナもろともこの世から消えてしまおうか――なんて、考えてしまいそう。

誰かにこんな自分を否定してほしかった。
けれど、否定してもらうには、こんな自分を知ってもらう必要がある。
それだけは、決してしてはならないことだ。
浅ましい自分の存在は、それだけで罪に思えた。
誰にも打ち明けられないことを抱え、苦しんで生きていくことは。
きっと罰なのだと――自分に言い聞かせた。

自分に言い聞かせてから。
繰り返し昔の夢を見る。
奴隷時代のこと。
マリアとの結婚を決めた俺を、イザナが訪ねてきてくれた時のこと。
イザナの結婚式の招待状を貰った時のこと。
式の様子、グランバニアの王子だったとイザナが告げた時のこと――アイツとの時間を。
現実で会えない分だけ、夢でイザナに会っていた。

その夢で。
俺は。
また、自覚させられるのだ。
浅ましい自分、取り返しのつかないことをした自分、醜い自分――自分のイヤな部分の、何もかもを。


『これからは、俺のいるところがお前の故郷だ』

それぞれの道を歩むことを決めた時。
俺がイザナに贈った言葉。
その言葉は、イザナに帰ることのできる場所を示すことで、イザナの旅に対する気持ちが軽くなればと。
そう、思って贈った言葉の、ハズ、だった。
けれど、今では、それが何を意味していたのか。
痛いほど、よくわかった。

あの時の俺は。
イザナの心に住みついているビアンカという見ず知らずの女性に。
勝ちたかったんだと思う。

サンタローズの滅亡を知って。
故郷を失ったイザナ。
その心の拠所に、幼馴染みのビアンカを求めた。
けれど、その幼馴染みもアルカパの街から姿を消していて――。
求めた拠所が、手の届かないところにあるということを知った時のイザナの顔を、俺は今でもよく覚えている。
落胆しているくせに、無理に笑ってみせていた。
無理にそうしようとしなければならないほど、心は傷ついていたんだ。
それほど、ビアンカという幼馴染みの存在はイザナの中で大きいのだと。
俺は思い知らされていたんだ。

だから。
ビアンカにできないことを、俺はイザナにしてやりたかった。
どうにかして、ビアンカよりも、大きな存在でいたかった。



奴隷時代、イザナのことを気にかけるマリアを見て。
あんなにも心が穏やかじゃなかったのは。
マリアの心を惹きつけているイザナに対して苛付いていたというよりも。
むしろ、イザナに惹かれているマリアに苛立っていたのではないかと、今では思う。

マリアと結婚して。
俺は確かに幸せだと感じていたけれど、どこかでそれ以上の幸せがあるのだということにも気付いていた。
それは、イザナと築く幸せだったのだ。
それを、俺は。
イザナの結婚式の招待状を受け取ることで知った。
イザナが、別の誰かと幸せを築こうとしていると知って、やっと自覚したのだ。

本当はイザナこそが欲しかった。
奴隷時代、マリアがイザナのことを気にしていた時、あんなにも胸が疼いていたのは。
イザナにマリアをとられたくなかったんじゃない。
マリアにこそ、イザナをとられたくなかったんだ。
イザナは俺のものにはならない、それならば、誰の手にも渡ってほしくない。
だから、マリアの気を、必死にイザナから離そうとした――。


息を整えた俺は、到底眠れる状態でもなくて。
マリアのいない1人のベッドを抜け出して満月の光に照らされた露台へと出た。

もうすぐ夏がやってくる。
身震いを、ひとつ。
夏が近いといっても夜はまだまだ肌寒い――だから震えたのではなく。
ただ単に恐ろしかっただけ。
イザナのいない季節がまたひとつやってくる、それを思うと恐ろしくて。

いつも、いつも。
どこかで俺は必ずイザナのことを意識していた。
イザナが幸せであればいい、そう思いながら、その幸せは俺がいてこその幸せならいいと。
イザナが生きていてくれればそれでいいと、そう思いながら、その生は俺が生きている世界での生であればいいと。
傲慢に、醜く、卑しく、思っていた。

ぱたりと音がしても俺は、その音が自分の手に何かが零れ落ちた音だと気付けなくて。
頬を掠める夜気がやけに冷たいことで、涙を流している自分に気付いた。

イザナのいない季節が。
イザナのいない時間が。
現在進行形で増え続けている。
俺と共有するものが減っていき、共有していないものが増えていく。
それを嘆いている自分――まるで所有物が他人のものになるのを駄々を捏ねている子どものようで。
消えてしまいたい気持ちになる。
イザナが俺の前から姿を消したのは。
きっと、神様がこんな俺からイザナを守るためだったんだとさえ思えてくる。

それでも会いたいんだ、イザナに。
生きていてほしい、イザナに。
もうこんな想い、抱かないから。
たとえ無理でも、誰かに知られたりしないから。
だから。
イザナを返してほしい。
俺の許じゃなくていい、せめて、家族の許に。

今なら、心から願えるから。
イザナの、真の幸せを――。
たとえそれが、俺なしの幸せでも。

神がいるというのなら、この願いを聞き届けてほしい。
俺は、真円の月に祈った――










イザナは帰ってきた。
俺のところにも来てくれた。

俺の祈りを神が聞き届けてくれたのだ――なんてことは考えなかった。
聞き届けてくれたのなら、あの時叶えてくれていたはずだろう?
あの時からもう、7年も経ってるんだ。
すんなりと神の信奉者にはなれない。
でもまぁ、神も分かっていたのかもしれない。
俺が、イザナへの想いを捨てられるわけがないと。
だから、こんなに時間をかけたのかも。
どうせ想いを捨てることはできない、それならイザナのいない時間を苦しめと。
この想いを告げたとき何が起こるか、イザナのいない世界を生きていくことがどれだけ苦しいか、存分に思い知れと。
神は、そんなことを言いたかったのかもしれない。

そう、俺は今も、イザナへの想いを捨てることができないでいる。
むしろ。
1度イザナを失ってしまったことで、その想いはより一層強くなってしまった気さえしてくる。

俺のこの気持ちは、多くの人を裏切るものだ。
俺のプロポーズを受けて一緒になってくれたマリア。
俺の結婚を祝福してくれたデール、ラインハットの国民たち。
親友として付き合いを続けてくれているイザナ――
この気持ちを口にすることで、何もかもが崩れてしまうということを、俺はよく理解しているから。
吐き出されることがないまま、想いは強く大きくなる。
持て余そうが、破裂させてしまいそうになろうが、俺はこの気持ちを自分の中に飼っておかなければならない。
その苦痛が、裏切り続けている人々に対しての懺悔なのだと、思うしかない。

今ではこの気持ちが何なのか、はっきりとわかる。
けれど、それは口にしてはならない。
決して。
心に秘めておくことで守れるささやかな幸せと。
口にすることで訪れる破綻の日々。
どちらかを選べと言うのなら。
迷わず前者を選ぶ。

口にしてはならないんだ、決して。
秘めておくことが、どんな苦痛を俺にもたらそうとも。
この幸せを、壊してはならないから。
イザナが戻ってきてくれたことの幸いを、この世で同じ時を生きることのできる幸いを。
それだけを噛み締めていくしかない。
これ以上の幸せなんてないんだ。

たとえ、イザナに隠し事をしていることが後ろめたかろうが。
この想いだけは決して、口にしてはならないんだ――

たとえ、

「ヘンリーの初恋って、いつ?」

「ヘンリーが結婚した時、ちょっと変なカンジがしたんだよね。
 胸がチクっとしたっていうか……」

戻ってきたイザナが、昔話みたいにこんなことを言っても。
その時の顔が、どんなに切なげに見えても。
俺は、言ってはならないんだ。
この想いを、言葉を。
口にしてはならないんだ。

お前が初恋の相手だと言いそうになったり。
もしかしてそれってマリアに対する嫉妬かよ、と嬉しくなったりしそうでも。

俺は笑う。
笑って、こう言うんだ。

「マリアに決まってるだろう?」

「マリアは俺のこと初めから好きだったんだとかぬかしながら、やっぱりお前、俺に妬いてたんだろっ」

俺の言葉に、イザナがさらに傷ついたものに見えても。
気付かぬフリをするだけ。
そうすれば、今の幸せだけは守っていける。

これで……これで、いいんだ……
もしも、あの時――なんて。
考えてはいけないんだ。

俺はこの想いと、一生。
誰にも気付かれないように。
付き合っていく覚悟を、イザナが戻ってきたときに決めたんだ。




自分の中でのサブテーマは『時間差』だったりします
自分の中に在る痛みと付き合っていくことを決めた瞬間が、ヘンリーと主人公とで違う、という…そんなのを目指してました
……というのは後付けにすぎなくて
実は、この話は、先日絵チャをした後、通常チャットに戻った後、潮音さんと話していた時に生まれたお話なのです
セリフの多くを考えていただいて、そして生まれたお話なので
このお話は潮音さんに捧げます
その節は本当にお世話になりました。ありがとうございますv
なのにお題にひっぱりだしてきて……雪咲はほんとダメダメですねぇ

チャットをしていた時にも、『昔あったドラマのようだ』という話になったのですが
雪咲はそのドラマを見ていません
なので、機会があればレンタルショップで探してこようかな、と思ってます
何てドラマかわかった人はこっそり申告すること(冗談です/笑)