text : DRAGON QUEST VI

[ confidence −コトノハアソビ− ]


『信用』
『信頼』

その言葉に縋って、裏切られた時、心にどんな傷を負うか知らない人間だけが使う言葉。
薄っぺらい言葉。

助けてほしい時に助けてくれない、してほしくもないことをして邪魔してくれる。
これまで、そんな目に遭ってどん底を経験したテリーは、その言葉が大嫌いだった。

信じられるのは己のみ。
己の力だけなんだ。

だから、強くならなければならない。

姉を助けるためにも。
そして、幸せな日々を取り戻すためにも――。






ことの始まりは、姉のミレーユが街を牛耳るギンドロ組に、金と引き換えに連れ去られてしまったことにある。
知恵も力もない非力な子どもであったテリーには、連れて行かれる姉の手を掴むことはできなかった。

争いの末、意識を失い、次に目覚めたとき姉は側にいなかった。
意識を失った状態から目覚めたとき、それまでならば姉は、テリーが目を覚ますまで手を握っていてくれるはずだった。
あるはずのものがない時、ここまで喪失感に胸を痛めねばならないのかと、幼いながらにテリーは痛感していた。

それからのテリーは姉を救い出すことしか考えられなかった。
今のままでは非力ならば、強くなればいい。
そう考えるに至ったテリーは、街に立ち寄った腕に覚えのある一行に、強くなれるよう手解きしてくれないかと頼み込んだ。

それがそもそもの間違いだったのか。

テリーを連れ出した一行は、確かに腕に覚えはあったが、その性根が清らかだったかというと正しくない。
むしろそれは、非道に近かった。

テリーの見目が麗しいのを見、街に後見人はいないも同然と見るや、テリーを街から連れ出し、人身売買を生業とする者に売り渡したのだった。

その後の扱いは酷いものだった。
大人しくしていれば何もしないと言われても、何が何でも姉を救い出したいと思っているテリーが大人しくしているわけがない。
命令には逆らい、隙あらば逃げ出そうとしていては、罰を与えられるのも自然の成り行きか。
見目が商品だからと、外傷を与えられるようなことは無かったが、身体の内部や精神に響く苦痛を与えられることは日常と化してしまった。

その苦痛とは、生理的反応を逆手に取った辱め、というべきか。

買い手に宛があるのか、テリーを買い取った業者は、テリーの他にも同年代の少年少女を連れて旅をしていた。
もちろん、疑われないよう偽装して、だ。
旅芸人一座として宿場にたどり着けば、昼夜問わず、テリーをはじめ、少年少女たちは『奉仕』することを教えられた。

苦痛を恐れる多くの子どもは、奉仕を悦びにすりかえ、恐怖と苦痛から逃れようとし、いくらも経たないうちに性奴と成り果ててゆく。
テリーは、決して屈すまいと気を張っていたが、逆らえばより深い悦楽と苦痛を覚えこまされ、果ては体力も削がれると学習し、従順な振りをすることを覚えた。

テリーらを買いたいと言っている貴族は、世界に類を見ないほどの金持ちで、いくら金を積んでも惜しくないと言っているらしい。
その代わり巧みな夜伽の技術を要求しているらしく、技術を叩き込まれるのに、身体が壊れるのではないかというほど夜を重ねなければならなかった。

時に男に抱かれ、時に女を抱く。
どんな相手であっても満足させることができるように。

相手が誰であっても、ということは、特定の相手でなくても、ということだ。
そこに愛情はない。
あるのは快楽を貪欲に求める穢れた心だけ。

練習と称して、相手に買われる日々を過ごした。
満足させられなければ罰が待っていたから身体を提供したが、心までは渡さなかった。
身体を重ねる相手はいつも違った。
彼らは皆、悦楽を求める獣でしかない。
男も、女も。
膚を合わせた人間の数が増えるたび、この世の人間はみんな獣なのだろうかと思うようになった。
あまりに多くの人間を抱いてきたのだから、そう思うのも仕方がないだろう。
テリーは次第に冷えた心で接するようになっていた。

穢れた心しか持ち合わせない人間で占められていても、少なくとも一人はそうでない人がいるはずだとは思っていた。
その一人とは、親愛なる姉ミレーユだった。
ミレーユだけは違う。
再会すればきっと、自分のこの穢れた心も浄化してくれるはず。
それほどミレーユは清き心を持っている。

だから絶対に助けるんだ。
テリーはそれだけを心の支えに、泥沼のような日々を乗り越えてきたのだ。



長い旅の末、テリーはとある国の都に来ていた。
何という国の何という都市なのか知らない。
聞いても知識が無い以上、役には立たないだろうと業者は教えてくれなかったが、テリーには必要だった。
ここから故郷に戻るためにはどうしても。

少年少女らは、一先ず豪邸のある一室に入れられた。
テリーは別の個室へ入れられた。
先に出品目録と称して簡単な肖像画を送ったところ、貴族の中の一人がテリーを大層気に入ったとか。

そう、今回の買い手は一人ではないのだ。
とある貴族が主催するオークション。
出品されるのは、性奴と化した少年少女たち。
テリーは主催者に気に入られたため、出品されなかった。
オークションが終わるまで、一人、部屋に閉じ込められることとなった。

正直、他の少年少女らと一緒にいなくて済むとわかり安堵していた。
日々、恐怖に怯えながら奉仕している少年少女らも、その恐怖がないとわかれば純粋に享楽を求めるようになる。
監視の目がないとわかれば、少年少女らは互いに身体を重ねあった。
疼く身体の熱を放出するために。

テリーの冷えた眼光と纏う雰囲気から、テリーは交歓に参加しないと少年少女らは解しているのか、テリーに近づいたりはしなかったが。
乱交を間近で繰り広げられてはたまったものではない。
きっと、時間待ちしている今も、大部屋では目も当てられないような行為が繰り広げられていることだろう。

一人になったことは幸運だった。
これで縛られていなければな、とテリーは嘆息する。
さすが、というべきか、プロによる拘束は絶対に外れない。
多くの縛り方をテリーも知っているが、その知識を総動員しても抜け道はなかった。

薄暗い部屋だった。
間接照明が、その部屋が書斎のひとつであることを教えていた。
装飾品や調度品も、品のよいものが揃えられている。
これを買ったのと同じ金で、テリーら生身の人間も買おうとしている――美しいものを愛でる心はテリーにもあったが、そう思うに至ると、部屋にある全てのものが汚らわしいものに思えた。

どうにかして脱出することはできまいか。
いいアイデアを思いつくことができるかもしれないと、手がかりを探して改めて部屋を見渡す。
嫌悪感しかこみ上げなくても耐えるしかない。

見目は書斎に見えても、普通の書斎でないことは、ひとつも窓がないことから明らかだった。
言うなれば、座敷牢。
住むに困らないだろうが、決して脱出できない堅牢。
テリーを拘束してはいるが、それがなくとも脱出は不可能なのだろう。
テリーの正面の扉が開かない限りは。

拘束しているのも、己の立場を知らしめるためなのだろうか。
今もしぶとく逃げ出そうと考えていることは、これまで道を共にしてきた業者もよくわかっているらしい。

このまま業者から貴族に売られたら、脱出する機会はさらになくなるだろうか。
まだテリーは、自分を買い取ろうとしている貴族に面会していない。
姿を見ていれば、今後自分をどう扱うか見当もつけられただろうが。
もっとも、貴族ながら悪行に手を染めのうのうと生きていられるのだ、ツラの皮の厚さは相当なもので。
本心を読める可能性などないのかもしれないが。

売り渡される瞬間を狙うか。
この広い屋敷で飼われながら機会を待つのか。
あるいは、他の手を考えるか。
どれをとったって、時間が過ぎていくことに変わりない。

弱いままの自分でこれまで何日も無為に過ごしてきて、そして今後もその状況は変わらないかもしれない。
自分ひとりの力ではどうにもならない。
強くなりたいと願い、街を飛び出したというのに。
未だ、そしてこれからも、自分は非力なままなのか――そう思うと、あまりに情けなくて涙が出そうになった。

「一刻も早く、姉さんを助けにいかなければならないのに――」

泣くのだけは嫌で、その代わりに声を絞り出す。
誰もいないのに音にして想いを外に出したのはそれだけの理由でしかない。

だから。

「一刻も早く、ということは、少しの猶予もならない状況、というわけだな」

返答があったことに、テリーは身体が跳ねるほど驚いた。
実際、拘束されている椅子ごとひっくり返らなかったのが不思議だった。

「誰だっ!」

部屋を見渡したところで姿はない。
死角となる背後にだって、人の気配は感じられない。
では、声はどこから? まさか幽霊などではあるまいし。

非現実的な考えに自嘲した時、天井の一角がこそんと抜け落ち、そこから黒い影が顔を出した。
目立たないように黒い装束をしていて、顔を出したといっても、テリーが確認できるのはその人物の目だけだった。
顔のその他の部分はマスクで覆われている。

声色は、武骨な男のそれではなかった。
どちらかといえば女こどものような。

影は部屋にテリー以外に人影がないことを認めると、音を立てずに床に下り立った。
その姿は、声から判断したように、線の細い人物のものだった。

女? それとも、自分と同じような少年……?
彼、あるいは彼女が何の目的で自分の前に姿を現したのかわからない以上、警戒するに越したことはない。
テリーは近づいてくる人物に鋭い視線を送った。
しかし、相手は怯むことなく、テリーに触れられるところにまでやって来た。

「警戒などしなくていい。
 動きもままならない相手をどうこうしたいなら、姿を見せるリスクを払わずとも、いくらでも手はある」

声がくぐもっているのは、布越しに発せられた声だから。
口調は、そっけないというよりも、むしろ冷たく射殺さんばかり。
要素はどれも、人を不快にさせるものだっただろうに、テリーにはその声は好ましい部類に入った。
強者が有するものに思えたからかもしれない。

背格好と声色から、相手はテリーと同世代の少年だと知れた。

だが、彼はテリーとは違い、所作の何から何まで精錬されたエリートの雰囲気を醸しだしていた。

世界の大部分の子どもが朝から晩まで働かされ、自分の時間が持てないでいる間に、教養と礼儀作法その他諸々叩き込まれたような。

それもこれも、彼には時間を買い、さらにその時間働かなくても生きていけるだけの金があったから。
境遇が恵まれていたからできたこと。
境遇が恵まれていなかったから、テリーはできなかっただけで。

「助けなんかいらない」

負け犬の遠吠え、ではないけれど。
それでも虚勢をはらずにいられなかったのは、自分が手に入れたくても手に入れられなかったものを有する少年に嫉妬と羨望を感じたから。
そんな自分を認めたくなかったから。

唇を噛み締め睨みつけてくるテリーに、少年はあからさまに肩を竦めた。

「先程のキミの言葉は冗談か何かか?
 時を争う問題でないならば、私が手を貸すまでもない。
 後ほど、十分な救援物資を携えた救助隊が救出に現れるだろう。
 彼らに助けてもらえ」

少年はテリーに背を向け、自ら開けた天井へと戻ろうとした。

あまりに素っ気なさすぎる少年の反応に、莫迦にされたと頭に血が上ったテリーだが、しかし、己の悲願と矜持を秤にかけられるだけの判断力は残っていた。
助けられるのはありがたい、けれどそれは早い方が尚いい。

「悪かった。
 時を争う問題だから――手を貸してくれないか」

テリーの言葉に少年は、静かにテリーの背後に周り、縄による拘束を解いてくれた。
そして、天井の一角を指す。

「ひとりで上れるか」

「……何もなしで、か?」

「……無理だろうな」

少年は穴の真下に行くと、腕を振り上げた。
リストバンドのような部分から、細い、けれども丈夫そうな糸のようなものが伸びていく。
天井の内部から、ひっかかり、巻きつく音が聞こえる。
安定具合を確かめ、少年はそれを伝い天井裏へと消えて行った。

置いていくつもりか、と様子を窺おうと穴の真下へ行くと、少年が手を伸ばしていた。
その手には、先程テリーを拘束していた縄が握られている。
いつの間に、と聞きたい気持ちに駆られたが、暗闇でもなお自分を捕らえてくる瞳に何も言えなかった。

上りきったその先は通風孔だった。
お互い子どもの身体だから通れたようなものだろう。
早く大人になり、力を得たいと思っていたが、この時ばかりは未だ小さい己の身体に感謝した。

人が通るようには設計されていない場所を、屋敷の人間に気づかれぬよう通り抜けるには、常にないほど神経を磨耗した。
ただでさえ広い邸内を慎重に匍匐で歩き、敷地内は監視の目を逃れて駆け抜けた。
少年が、もういいだろうと声をかけた途端、テリーはその場にへたりこんでしまった。

抜けられた。
こんなにも簡単に。

けれどそれは、目の前にいる少年の誘導があったからだ。
羨ましいほどの身体能力を持ったこの少年がいなければ、今もテリーはあの地下牢にいるしかなかった。

差を見せ付けられ、己の無力さに悔しい想いがこみ上げる。
と、同時に疑問も浮かび上がる。
そんな恵まれた力をもっていながら、あのような場所にいたのは何故だろうか。
今までの言動から、少年は無駄なことはしないような人間に思う。

「――あの屋敷に何の用だったんだ」

屋敷は街外れの小高い丘に建てられていた。
その麓、城下町へ繋がる小道に佇む一本杉にテリーは背を預けていた。
屋敷に目をやり、少年を見上げる。

清水の入ったボトルをテリーに差し出して、少年は顔を覆っていたマスク、そして頭に巻いていた黒布を取り払った。
現れたのは、鮮やかな紫の髪、端整な顔立ち。
綺麗に整えられたそれからも、彼がそれなりの地位の生まれだということがわかる。

「潜入捜査。
 と言っても、下調べはほとんど済んでいたから。
 私の役目は合図を送るだけだった」

本当に突入してもいいのか。
下調べと何か変わったところはないか。
それらを判断して合図を送るのだと言って、少年は腰のバッグからあるものを取り出した。
地面に突き刺し、手際よく導火線に火をつける。
ジジジと燃える音のあと、それは勢いよく空へと飛び出していく。
昇っていくだけで、音はならない。
けれども、それだけで合図になるのだろう。
少年は屋敷の方をみやり、テリーの横へ腰を下ろした。

「この国に人身売買を行っている人間、それも貴族がいるということだけで捜査するに値するけれど。
 もちろん、それ以外に私が乗り込む理由はあった」

「その理由は?」

「話したところで、この国の上層部のことを知らないならば理解できないとは思うが……そうだな。
 今回の罪人のバックに、この国のとある要人が絡んでいるという情報を得たから、とでも言えば分かるか?」

「まあ、大体は。
 ――それにしても、すごいんだな、この国は。
 俺くらいの年の子どもまで中枢に関われるのか」

時間をかけて、こんな子どもを養成できる豊かさがこの国にはある。
私利私欲のため、国王の暴挙がまかり通っている故郷とは大違い。
数年とはいえ、自分の育った国が情けなく思う。

「周りはそんなつもりはない。
 蝶よ花よと育てているつもりだろう。
 将来、王位を継いだ時、思い通りに動かしやすいように」

「――は?」

今、ものすごい単語が出てこなかっただろうか。
自分の耳を疑う間もなく、少年は再びその単語を口にする。

「私がこんなことをしているなどと知ったら、側近の者たちは卒倒するだろうな。
 いずれ王となる御身を危険に曝すなどと、とか言ってな」

ただ笑いながら呟かれた言葉なら、冗談と済ますことができただろう。
少年の言葉が虚言ではないことは、その笑みが歪んだ嘲笑だったことから知れた。
こんな表情で言うものではない。

「宮廷は華やかな場所だと、本当に思うか?
 民から搾取したもので贅沢しているだけの愚か者の集団だと?
 確かに愚者ばかりかもしれないが、ただの愚者ではない。
 いつ台頭してやろうかと隙を狙う、狡猾な狐どもの巣窟だ。
 そんな場所に長く居れば、イヤでも思い知らされるさ」

このままでは、壊されてしまう、と。

「間諜から情報を守るには、暗殺者から身を守るには。
 間諜や暗殺者の手の内を知ればいい。
 それに彼らと同じことをして身に覚えこませるのが一番てっとり早い。
 だから、私はそうしているだけだ。
 彼らの中に信頼できる人間を見つけられたことは本当に幸運だった」

開いた手を見つめる顔は、無表情を装いたくて失敗したような顔。
彼の目には、もしかしたら血みどろの手が映っているのかもしれない。

年端もいかない、同い年くらいの子ども。
誰もが望む境遇でも、その境遇だからこその悲しみや苦労がある。
もしかしたら、人格が歪んでしまうほどの。

それはどこの宮廷も同じことなのだろうか。
少年のように、壊されてしまうと気づくことができなければ、周りの狐に踊らされ、私利私欲に動くことに何の疑問を感じなくなるのだろうか。
ガンディーノの王のように。

だが。
境遇のせいかもしれないと哀れむことができたとして、自分たち姉弟をこんな目に遭わせたことを憎む気持ちが消えるわけではない。
境遇というのは一要因であって、少年のように動くことができている人間もいるのだから。
あのような王になってしまったのは、あの王自身の問題だ。
犯した罪は、償って然るべきだ。

「人目を忍んで彼らに教えを請うていたからな。
 王宮で私の世話をする人間たちは、まさか私がここにいることは知るまい。
 城下を遊びまわってやんちゃですね、くらいにしか思っていないだろう」

「――遊びなんて、したことがないって感じだな」

大人びた雰囲気は、確かに村々で育った同世代の少年少女には作り出せないものだ。
返せば、彼らと同じ経験ができていないからこそ、子ども特有のあどけなさなどを持ち合わせていないのだろう。

「城内では遊んでいたさ。
 妹とは、な」

遊んでいた――と、遠い目をするのは、今はその時間さえ取れないほど忙しくなっているということだろうか。
自分の身を守るための訓練に時間をとられてしまって。

「今はもう、妹とも遊べるんじゃないか?
 十分だろう、今のままで。
 俺と同じ年頃とは思えない能力を持ってるんだし」

「――今回の特殊任務には、どうしても自分で参加したかったんだ。
 危険だと、いくら諭されても」

「さっき言ってた、要人が関係することか?
 でも……それって、俺に話してもいいような内容だったのか?
 この国の最高機密なんじゃ」

いくらでも利用する手はあるだろう。
そもそも、王子がこんなことをしているということすら、一大スキャンダルになりかねない。
少なくとも、彼が王位を継ぐ際に障害になるだろう。

リークする可能性を考えなかったのだろうか。
こんなに簡単に身分や手の内を明かしたりして。
ここまで隙のないところしか見せていなかったのに、大事なところで抜けているのではないか。

まさか秘密保持のため、このままここで始末されるようなことはないだろうか。
しかし、それではテリーを助け、ここまで連れてきた意味がない。
それとも、情報を流したところでテリーにはどうすることもできないだろうと踏んでいるとか。
そこまで行動できないだろうと侮られているのだろうか。

尊敬の念すら抱きかけていたところにそんな扱いを受けては。
もう二度とそんなことは思うまいと心に誓うのも自然のことか。

くるくると表情を変え、最後にはそっぽを向いてしまう様は、傍目には愉快なものに映ったのか。
少年は微笑み、心配する必要はないと、梢の合間から空を見上げた。

「今のキミには、機密を知ってどうこうするよりも、大切なことがあるのだろう?」

信じるよ、という言葉は、テリーの眼をひたと見つめて告げられた。
少年の漆黒の眼には、息を呑む自分の姿が映し出されている。
圧倒されている自分が。

「し、信じるなんて……よく簡単に言えるもんだな」

「簡単に言っているのではない。
 キミも理解るだろう?
 私たちみたいな子どもが、信頼できる人間をいくらも作れないことを。
 その中で、私は信用でき、信頼できる人間を見つけ、増やし、守っていかなければならない。
 短時間で、その人物が信ずるに足る人物かどうか見極めねばならない。
 これまでで、いくらかその力は培われてきたと自負している」

将来王になることを見越して媚びへつらう人間を多く目の当たりにしてきたのだろう。
どうにか懐柔して傀儡にできないか、そう画策する人間もいるに違いない。
しかしそれも、テリーが今目にしている少年を知らないからできることだ。
少年の醸しだす、射殺さんばかりの雰囲気の中にいてなお、少年を掌中に飼うことができると考えているのなら、宮中の人間は真の愚か者に違いない。

「俺はその鍛錬のひとつに過ぎないってことか」

「そう思いたければ思えばいい。
 私がキミを信用しているという事実は変わらない」

信用ね、と肩を竦める。
『信用』 『信頼』、嫌な言葉だ。
助けてほしい時に助けてくれない、してほしくもないことをして邪魔してくれる。
これまで、そんな目に遭ってどん底を経験したテリーにとっては、そんな薄っぺらいものを重要視するなんて馬鹿げたことだと考えてしまう。

けれども、その言葉を使う少年だけは、そうは思えなかった。
信頼という言葉を使う瞬間の少年の目には、強い決意の色が見てとれたから。
少年の綺麗な顔かたちは、金にモノを言わせた贅沢な環境と時間が形成していくのだと思っていた。
けれどもそれは、少年の内から滲み出る気のようなものが魅せているだけで、決して外から弄っただけで作り出される美しさではなかった。

そんな美しさを作り出せるモノならば、信頼という言葉も悪くないと思える。

「今頃、屋敷に捜査の手が入っているだろう。
 一旦保護されれば、長期間拘束される。
 拘束と言っても、これまでキミたちが受けてきたものとは比べものにならないほど快適な拘束ではあるけれど。
 でも、キミにとっては拘束に違いない。
 そんな時間も、今のキミにはないのだろう?」

明日早朝、この街から港へ向けてキャラバンが発つ。
それに合流させてもらえば、安全に故郷近くにまで戻れるだろう。
それまでは宿へ逗留することになる。
出発までの間、話してくれる情報だけで今は十分だと、少年は今後の流れを説明した。

「本当は、キミにも証人として残ってもらいたい。
 けれども、キミには譲れないモノ、守らねばならないモノがあるのだろう?
 私はそれを妨げたくはない。
 私も一緒だから……妨げられるもどかしさも、非力な自分への憤りも、もどかしさも……わかるつもりだ」

眉間に力をこめる様子は、悔しさを堪えているようだ。
テリーには想像することもできない宮廷の、苦労と呼ぶには足りないような辛い出来事があったのかもしれない。

「……それだけで、俺にここまでしてくれるというのか」

金持ちの道楽ではなく、施しでもなく。
自分に似たところがある――そんな理由だけで、これだけの援助ができる時点で、貧者のテリーとしては道楽に思えなくもないけれど。
少年にとっては、『そんな理由』ではない別の理由があるのだろうか。

立ち上がった少年を、テリーは眩しいものを見るかのように見上げた。
すると少年は、初めてテリーに笑顔を見せた。

「『きょうだい』を助けてあげてほしいんだ。
 私にはできなかったから。
 できなかったからせめて――キミには果たしてもらいたい」

それは痛々しい笑みではあったけれど、テリーの目を引きつけて放さない程に魅力的であった。

「それ、どういう――」

「お姉さんを助けたいキミには余計な情報にすぎないだろう。
 だから、私のことは話さない。
 故郷に戻ること、お姉さんを助けることだけに集中してくれ」

立ち上がらせようと、テリーに手を差し出してくる。
宿に案内してくれるつもりなのだろう。

遠い丘の上の屋敷から、風に乗って慌しく行き交う人の音が聞こえる。
逃走したテリーを探し出そうとする音ではない。
捕縛する人間と、されまいと逃げ惑う人間の音だ。
どうやら、少年の言うところの捜査の手だろう。

それを背後に、テリーは駆け出した少年の後を追う。

屋敷の中でも実感させられた高い身体能力。
それを遺憾なく発揮する少年の背中に、テリーは訊ねた。

「オマエの守りたいものって?」

少年は、振り向かずに答えた。

「国と家族」

そこに『きょうだい』は含まれているのか。
テリーは終に訊くことができなかった。






数年後、テリーは再び同じ国の土を踏んだ。
あの時、キャラバンと共に辿った道を逆行し、国の首都、城下町へとやって来ていた。

あれからガンディーノへ戻ったテリーができたのは、すでに姉が城にはいないという事実を知ることだけだった。

無事でいるとわかるだけ、助け出されたということを知るだけでは十分ではなかった。

助け出すことが目的ではなかった。
助け出して、姉弟一緒に「幸せに暮らしたい」――それがテリーの最終的な目的だった。

姉を捜し出す。
途中の目的が「助け出す」から「捜し出す」に変わっただけ。
そして、その過程も多少色づけされることとなった。

姉と引き離された時の自分の無力さを呪っていた。
あの時の自分から脱却できないでは姉に顔向けできない。
そのためには強くならなければならない。
最強の武器と、最強の自分。
それを手に入れる。

テリーは世界最高と謳われる剣とその情報を求めて旅を続けていた。
最強の剣入手と己の修行は、あくまで姉を探し出す付属の目的であったはずなのに、いつしかそれに匹敵するほどの目的となっていた。
妄執的になっている自分に気づいてもいたが、それを糺そうという気にはならなかった。

今回、この国に足を運んだのは、付属の目的に、さらに理由が付け加えられていた。
眠ったまま目を覚まさない王と王妃、という風の噂の真偽を確かめに。
そして、その息子の動向を知るために、テリーはレイドックを訪れていた。

あの時――ガンディーノ地方へ向かうというキャラバンに合流する直前、少年はテリーに一本の短剣を差し出した。

『手配していたはずの剣が届かなかったから、これを持って行くといい』

それは、下層民同然のテリーにも、これには誰にも値をつけることはできないだろうと判断できるような、高価すぎる宝剣だった。
国宝級と言っても過言ではないだろう。

『見た目はゴタゴタしているが、切れ味はそこそこ保証できる。
 もっといい剣を見つけたらこの剣は売ればいい。
 そのままでは変に勘ぐられたりして面倒だろうから、装飾の宝石だけでも。
 それでも大概のものは買えるだろう』

こんなものをポイと与えてしまえるだけで、舐めているのか、とつっかかりたくもなる。
けれども、「今この時点ではこれが最善の策だからそうしたに過ぎない」という少年の意図がわかっているから。
テリーは金銭感覚のあまりの違いに呆れつつも剣を受け取った。
さらには、破格とも言える資金まで提供してくれて、思わず呟いた。

『本当に、どうしてここまでするかな……』

それは返答を全く期待しない独白であったのだけれど。

『お姉さんを助け出してほしいからに決まっているだろう』

真剣な眼差しが、そう言った。
そして。

『自分なりの先行投資、と言えなくもない。
 私は、キミは将来、何か特別なことを成し遂げる人間だと思った。
 その「何か」はきっと、私にも、私の大切なものにも大きな意味をもたらすような気がしたんだ。
 キミがお姉さんを助け、その「何か」を成した時、私のその判断は正しかったことになるだろう』

そのための投資だと、少年は事も無げに答えた。

『できるだけ早く結果を出してくれ。
 そうすれば、今のこの直感をもとに、私は信頼できる人間を増やすことができるから』

それは自分の大切なものを守るための力と同義だから。

あくまで自分のためだと言っているが、テリーはそこに自分への激励を感じ取っていた。

『本当にオレを、アンタの信頼に足る人間だと?』

『信頼、とまでは言ってない。
 信用止まりだよ、今は。
 今後のキミの行動如何でどうにでも変わるだろうけれど』

『……ま、オレにはどっちでもいいけどな』

『それでも、キミは信頼できるほどの人間になってくれるだろう?
 私にそれを伝えないまでも』

『…………』

ここまでされたからには、何が何でも姉を救い出すと決意していた。
今まで誰も助けてくれず、そして余計なことしかしてくれなかった。
少年だけが、テリーに負い目を残すことなく活路を示してくれた。

そう、少年に伝えることはないだろうが、それに応えるつもりではいたのだ。
信じ、頼られるほどの人間になってやると。

図星をさされ、押し黙っていると、少年はフと笑みを溢した。

『結果を出せと言ったけれど、私は待たないよ。
 キミを信じた自分を信じて、今の自分にできることをするだけだ。
 今の自分にできるスベテで、大切なものを守るだけ』

そして少年は、惜しむような眼差しを遠くに向けた。
それは、テリーがこれから向かう旅路。

『キミみたいな人がそばにいてくれれば、ボクはもっと多くの大切なものを守れるんだろうな』

それは、少年がテリーに見せた、「公」ではない、唯一の「私」の顔だった。

その横顔はテリーに、もし全ての目的を果たせたなら、この少年にもう一度会おうという気持ちを生み出させていた。
再会して、「そばにいてもいい」と思えるなら――力になってやるのもいいかもしれないと。

恩返し、ではないけれど。
姉を助け出すだけでは、少年の信頼に応えたと胸を張るに十分ではない気がするのだ。
この、今も自分より優位に立っている少年に、こちらが何かを与えられるくらいにならないと。
自分で気がすまない。

いつまでも弱いままではいられない。
逆にこちらが強くなり、頼られるくらいになりたい。
思えば、それが「自分のために強くなりたい」という純粋な想いの起源だったのかもしれない
時は流れ。
今――。

まだ目的を達してはいないから会うわけにはいかないけれど。
彼の大切なものの危機に、彼は一体どうしているのだろうか。
それが気になり、テリーはこの国に足を向けた。

王と王妃が眠りに就き、王子はその呪いを解くために、魔王討伐に向かった――そして、それ以来行方がつかめていない。

城下では、国を憂い、王と王妃と、そして王子を心配する民の声で溢れていた。
それを承知で最強の剣の情報はないかと訊ねてくる旅人に、国民は「それどころではない」「非情だ」「所詮余所者」といった眼差しを向けてきたけれど。

テリーにはわかっていた。
心配するまでもなく、『アイツなら必ず成し遂げるだろう』と。

だから、自分も成すべきことを成すだけだ。
自分はまだ、彼から信頼を寄せられてはいないし、応えるだけの力を持てていると思えない。

次にこの国を訪ねる時までに、必ず目的は果たしておく。
次にこの国を訪れるなら、その目的は『彼に会うこと』だ。

今も、あの時少年に手渡された短剣を所持している。
実際には何度も助けてくれたけれど。
『役に立たなかった』『必要ないから』と突き返してやる。
今の自分には、それを補って有り余るほどの力があるのだから、と。

少年はどんな反応をするだろう。
またあの時のように、素の自分を見せてくれるのだろうか。

見せてくれたらいいのに。
それが、彼の信頼に足る限られた人物にのみ許されたものであるのならば。

すなわちそれは、彼の特別な人間でありたいということ。
しかし、この時のテリーは、それに気づくわけにはいかなかった。

まだテリーは、目的を達せられていないから。

熟考するのはそれからでいい。
テリーはレイドックを後にした。




「やるのなら とことんやろう 捏造小説」 (字余りにも程がある)

を、モットーに書いてきました、テリ主序章  ……のつもり、です。
これをベースに、ちょっとだけ続けてみようかな、と。
それはもう、ラヴ! をテーマに、ね。
がんばりますのでよろしくお願いしマス。

と、いっても、更新にはだいぶ時間かかると思いますけどネ;