text : DRAGON QUEST VIII

[ 霹靂神の申し子 1 ]


天の裁き。
その魔法を知る者は、畏怖の念をこめてそれをそう呼ぶ。

使える者はこの世に稀にしか生まれない。
同種の技――地獄の怒りに似たそれは、神に仕える者の中でも、力の強い者が使いこなすことはできたが、呪文としてのそれは、いくら高名な魔術師でも己のものとすることはできなかった。

それは、ある王家に伝わる術であった。
その術を操る者は霹靂神の申し子と呼ばれ、その者が王位に就く時、国は大いに繁栄すると伝えられていた。
その者が世界を巡る時、世界は平安を手にするとも――。





その日、クラビウスはサザンビークに古くから仕えている魔術師ミンリーディンに呼び出されていた。
王家の儀式の日程が決まったことを受けて、話しておかなければならないことがある、とのことだった。

ミンリーディンはクラビウスと、そしてエルトリオの魔法学の教師であった。
父王にも教えていたというから、サザンビークの家臣の中でも古株と言ってよい。
歴史についても深く知っている魔術師であり、もう何人もの王族の儀式を見守ってきた魔術師だ。

そのミンリーディンが、自分に話があるのだという。
一体何があると言うのだろう。
緊張しながらミンリーディンが与えられている部屋を訪ねると、そこには兄エルトリオがいた。

「どうしたの、クラビウス。
 先生のところに来るなんて、珍しいね」

クラビウスは、実は魔法学があまり好きではない。
かといって身体を動かすような武術が好きかというとそうでもない。
兄が王位を継ぐとはわかっているが、どちらかというと帝王学、法学や経済学を学ぶ方が好きだった。

その一方で、エルトリオは魔法学に長けていた。
とは言っても、魔法学だけでなく、この兄は、クラビウスが得意とする帝王学その他も、苦手とする武術――とりわけ剣術もそつなくこなすのだが。

兄は、どうやら一般的な魔法だけでなく、一昔前の、失われつつある魔法についても興味があるらしい。
そのことについてミンリーディンに質問に来ているようだった。

「先生に呼ばれてきたんだよ。
 王家の儀式のだいたいの日取りが決まったから、それについて話しておきたいことがあるからって」

注意事項か何かだろうか。
クラビウスはそう考えていたのだが、エルトリオは合点が言ったというような表情を見せた。
どうやら、すでに儀式を済ませた兄も、自分が儀式を受ける際に同様に呼び出しにあっていたらしい。

「僕もこの時期でしたっけ、先生」

エルトリオが振り向いた先で、小柄な老人が羽ペンを走らせながら頷いた。

「そうじゃとも。
 王家の儀式を受ける前の、一人前直前の者に伝えるのがサザンビーク王家の慣わしじゃからの」

何やら自分にはわからない話で盛り上がりつつある2人に苛つきかけていると、それを見計らったかのようにミンリーディンは顔をあげる。
そして、穏やかに笑うのだ。

ヤバ……かったか?

クラビウスは焦る。
この先生は心を読むことができるらしいのだ。
実際本人からそう聞いたわけではないが。
何でも、最近視力が落ちてきて、その代わりにだんだんと心を読む術が目覚めてきたとかきていないとか。専らの、噂。

「お待たせしましたな、第2王子殿。
 気を悪くせんでください」

ふぉっふぉっふぉ そう笑いながら羽ペンを置く。
もともと穏やかな人だから、こちらの態度がそう悪くても表情を険しくしたりしないのだけれど。
成績があまりよろしくない分、クラビウスはミンリーディンも少し苦手だった。

「今日はクラビウス王子に、サザンビーク王家に伝わる魔法について、お教えしようと思いましてな。
 といっても、私には、これまでの魔法のようにお教えすることはできませんが」

「どうしてです。
 先生ほどの魔術師なら、どんな魔法でも使えるでしょう」

「いやいや。
 私はしがない国宝研究家ですじゃよ」

確かにミンリーディンは、王に許されて国宝についての研究を行っている。
今書いていた書物も、おそらく宝物庫に眠る国宝のひとつの研究論文なのだろう。
しかし、それらはこぞって強い魔力を秘めたもの。
並大抵の知識と魔力では、到底研究などできやしない。
それらを研究するだけのバックグラウンドを兼ね備えた偉大な魔術師なのだ。

実際、ミンリーディンに師事している者は少なくない。
サザンビークに仕える魔術師・学者を束ねていたり、学者の殆どが1度はミンリーディンに教えを請うていたり。
影響力の大きい人物であるのだ。
今もエルトリオが謙遜するミンリーディンに、そんなことはありませんよ、などと声をかけている。

「今回お教えする魔法を、私は使えません。
 今使えるのは、エルトリオ王子だけですな」

「兄さん、だけ?」

「そうですじゃ。
 世界のどんな高名な魔術師も使えません。
 今使えるのはエルトリオ王子のみ、今後使える可能性があるのは、クラビウス王子、あなただけですじゃ」

「兄さんと、俺、だけ……」

ミンリーディンのその言葉は、どこか胸を熱くするものだった。
自分にあるものないもの、すべて持ち合わせる天才的な兄のその才能に憧れていて。
大好きだったのだ。
自分だけではない、城下の者、城内の者、みんなが憧れる人。
その人と、自分だけが使える魔法。
それは、なんと甘美なものだろうか。

「あなたの努力次第ではありますがな。
 実際、あなた方のお父上も使える可能性がおありだった。
 しかし、使いこなすことはできませんでしたからな」

その話にクラビウスは些か驚いた。
父王は、こと魔力に関してはそこらの魔術師とも張るような人だった。
容姿こそ母譲りの兄も、魔法の才能は父譲りだとクラビウス自身思っていた。
その父が使いこなすことができなかった魔法。
自分に使いこなすことができるのだろうか。

「それ、どんな魔法なの」

不安になりながら、すでに習得しているというエルトリオを見遣った。

エルトリオは、いつも優しい笑みでクラビウスを見守っている。
1つしか年は違わないというのに、驚くほど落ち着いているのだ。
次期サザンビーク王としての期待や重責からか、ひどく大人びて見える。
そんな兄だから、きっと不安がっている自分を励ますような言葉をくれるに違いない。
そう期待して見つめたのだが。

エルトリオは表情を曇らせるだけで答えようとはしなかった。
それどころか。

「先生。
 どうしても、クラビウスにも教えなければいけないんですか」

そんな風に、ミンリーディンに言うのだ。

「こうして血を引く者に伝えていくのは、失わせないためですよね。
 後世に遺すという意味では、僕だけでも十分なはずです。
 クラビウスが習得する必要は――」

「しかし、これはしきたりですからのぅ。
 成人する直前の男子に伝える、ずっと続いてきたことです」

ミンリーディンの言葉に、そうですか、ととりあえずは頷いていたが、それでも思うところがあるのだろう、エルトリオは何やら難しい顔をしている。

この兄の言動に、クラビウスは違和感を覚えた。
そしてそれは、次第に怒りに似たものへと変わっていった。

何故兄は、そのようなことをいうのだ?
はじめからできないだろうと決め付けるような言い方。
兄はこのようなことを言う人間ではないはずなのに。
いや、もしかしたら今のこの姿こそが本当の兄なのか?
みんなの信頼を勝ち得るために、いい人を装っているだけなのか。
魔法も、剣術も、何もかも……優秀と評されるほどの才能を有している上に、処世術にも長けていて――その上で、自分を嘲笑っていたのかもしれない。
デキの悪い弟を、未熟な弟を、励まし支えるフリをして、影では――。

憧れだった兄。
大好きだった兄。
けれど、羨み嫉妬しなかったと言えば嘘になる。
優秀な兄、誰からも愛される兄、そして――自分と比較される兄。好ましい感情の裏で、ジクジクと疼いていた負の感情。
蓄積されていたけれど、気付かないフリをしていた。

けれど。
1度気付いてしまえば、もう無視はできない。
抑えきることも、できなかった。

平生ならばこのように考えることはない。
しかし、いつにない兄の言動に、クラビウスは混乱していたのだ。

「――独り占め、する気かよ」

腹の底から搾り出されたようなクラビウスの低い声に、エルトリオが弾かれたように顔をあげた。

「どうせ俺は、アンタみたいに魔力に長けちゃいないさ。
 武術も並だしな。
 だからって、兄さんに近づこうと努力することも許されないってのか?」

「クラビウス……」

「その呪文、使えればさぞかし賞賛されることだろうよ。
 どうせ、その賞賛の声が減るのを我慢できないだけなんだろ」

「違う、クラビウス。
 そういう訳じゃ……」

「アンタが望むのならそうしてやるよ。
 俺はそんな魔法、頼まれたって覚えてやるもんか!」

吐き出すだけ吐き出して、クラビウスはミンリーディンの部屋を飛び出した。
どこでもいい、何でもいい、今の気持ちを紛らわすことができるのなら。
それを求めて走り続けた。

悔しかった。
無条件に信頼し憧れていた自分が莫迦みたいだ。
裏切られたようで、否定されたようで。
自分だけじゃない、他の人も裏切られているんだ――そう思うと、余計悔しさは大きくなる。
今はいい、みんな騙されているんだから。
けれど、それが綻んだ時――兄の本性が暴かれた時、多くの人は今のクラビウスのように、エルトリオを憎み罵り嫌悪することだろう。
それが耐えられなかった。
あの兄が、みんなに嫌われるだって?
あの優しい兄が――。

そう思い至ったところで、クラビウスは苦笑する。
まだ自分は信じていたいのだ。
優しい兄を。自分が憧れていた兄を。
そして、好きなのだ。
どうしようもなく。
誰にも好かれる兄を。
嫌われている兄なんて想像したくなかった。
誰にも愛されていてほしい、そう願っている。

きっとエルトリオのことだ、何か理由があったのかもしれない。
けれど、1度生まれた疑念は中々消えてくれるものではない。
興奮し混乱した頭では考えられるものも考えられない。
1度頭を真っ白にして考えたい。

兵士達の鍛錬所の前を通りかかったクラビウスは、魔物討伐部隊が出立の準備をしているのを目にした。
魔物討伐――身体を動かしていれば、少なくともその間はエルトリオのことを考えずにすむだろう。
余計なことを考えていれば命を落とすのだから。
それに、今爆発させた感情にしても、自分に自信のないことがそもそもの原因のような気もしていた。
どうせあと少しもすれば、1人で王家の山に向かわねばならないのだ。
自分に自信がないようでは到底やっていけないだろう。

討伐部隊に参加しよう。
思い立ったクラビウスは自室に取って返し、愛用の槍を持ち、装備を整えた。
討伐隊には城門で整列しているところで追いついた。
もちろん討伐隊隊長は、突然のクラビウスの行動に狼狽えていたし、必死に城に戻るように説得してきた。
しかしクラビウスは引き下がらず、何があってもついていくと聞かなかった。
その内、後をこっそりつけられるよりはマシだと判断したのか、部隊長から離れないことを条件に同行許可を勝ち得た。

その日の魔物討伐は、サザンビーク領北部を中心に行われるとのことだった。
クラビウスが王家の儀式を行うことを受けての魔物討伐で、少しでも危険を減らしておこうという魂胆らしい。
侮られているのかといい気はしなかったが、どの王族の儀式の際も同様に魔物討伐が行われていたらしいから、思っていたことを表に出したりはしなかった。
そう、それだけのことなら、別に怒りを顕にするつもりはなかったのだ。
しかし、部隊長の悪気のない解説に、クラビウスは苛立ちを募らせざるを得なかった。

今回の討伐部隊の規模は中程度。
日程もそれほど長期のものではなく、1週間ほどで城に戻るとのことだった。
周辺の魔物を狩るのならもっと大規模にやるものだが、今回は徹底的に叩くのが目的ではないからと部隊長は解説した。
名目上、ひとりで儀式を乗り越えなければならないといっても、生きて帰ってこられないのでは元も子もない。
儀式を受ける者の力量にあわせて、どれほど徹底して魔物を狩るかが決まるのだという。
今回のクラビウスの儀式を受けての討伐は、凡そ平均的な規模なのだという。

「エルトリオ様の時は、それほど心配はなかったのですけれどね」

試練になるように、適度に魔物と戦うようにしておかなければならないわけだが。
兄エルトリオの時は、ほとんど周辺の魔物の整理をする必要はなかったのだという。

そう、兄は優秀なのだ。
とても。

クラビウスが兄を慕っているということは周知のことだから、部隊長もエルトリオを讃えるのに何の躊躇いもなかったのだろう。
事実、ミンリーディンの部屋での出来事がなければ、クラビウスは部隊長のこの言葉を自分のことのように嬉しく思っていたはずだ。

けれど今は。

兄に対する何もかもに、疑念を抱かずにいられない。

王家の山付近に辿り着いた討伐部隊は、キャンプを張り、グループ毎に指示を与えられている。
クラビウスは部隊長の率いるグループに組み込まれた。
決して部隊長の傍から離れないこと、それがこの討伐部隊に同行することの条件だった。

しかし、今のクラビウスはその条件に大人しく従えるような気分ではなかった。
1人になることが危険だからそのような条件を出されたのはわかっている。
しかし、兄と比較され、暗に自分はダメだと評された今、何かに苛立ちをぶつけなければ気がすまなかった。
見返してやりたいと思うより、めちゃくちゃに破壊してやりたい衝動。
たとえそれが、自分でも構わないと思うほど――クラビウスは、混乱していたのかもしれない。
兄の真意を、理解できなくて。
本当の姿を、見定めることができなくて。

「――という情報だから、十分注意するように!
 以上、任務にかかれ!
 ――……クラビウス様、どうされました?」

辺りがざわつき、部隊長に声をかけられてやっと、クラビウスは我に返った。

「い、いや。
 何でもない。
 それで、俺たちはどこで魔物を」

訊ねると、部隊長は驚き肩を竦めた。

「聞いておられなかったのですか?
 珍しいですね、クラビウス様が気を抜かれているなんて」

言葉こそ優しいものが選ばれているがしかし、その裏にはこれでは先が思いやられるといった部隊長の心情が読み取れるよう。
心苦しく思いながらも、失態であることに変わりはないから素直に非を認めた。

「悪い。
 考え事をしていたものだから」

「士気を高めておられたのですね。
 それは結構なことです」

「別に……そういうわけでもないんだが……。
 それで。俺たちも王家の山に入るのか」

いくつかのパーティが王家の山の方へと向かっている。
それを見て言ったのだが。

「儀式前のクラビウス様がお入りになるのはマズイでしょう。
 ですから、我々は周辺の魔物を退治することになります」

参りましょう、と部隊長は促すが、やはりクラビウスの心は晴れなかった。
討伐部隊を率いるほどだ、彼がメインとなる王家の山に入らないわけがないだろう。
きっと、本来の予定では、彼が率先して王家の山の魔物を討伐することになっていたに違いない。
なのに、自分がこうして無理矢理ついてきたから。
足手まといだから、周辺の魔物を狩るという計画に変わったのだ。

ぎり、と奥歯を噛み締める。
自分だから、こんなことになっている。
兄だったら、そうはいかなかったかもしれない。

エルトリオにぶつけた自身の言葉が甦る。
『兄さんに近づこうと努力することも許されないってのか?』
近づきたいのに、守られていないといけないのか?
近づけばきっと、兄は真実の姿を自分に見せてくれるだろう。
これまで自分が見てきたのが虚像なのか、実像なのか。
力をつければ、きっと、見極めることができるはずなのに。



中途半端なところで切れてスミマセン。
続きます〜