text : DRAGON QUEST VIII
[ 霹靂神の申し子 2 ]
キメラ、ダンビラムーチョ、ランドゲーロ、スライムベホマズン……クラビウスが同行しているパーティは次々と魔物を撃破していく。
連携もみごとで、しかも普段はそのパーティに属していないクラビウスに合わせて攻撃する余裕を見せている。
しかしそれは同時に、クラビウスの心を揺さぶる。
どの世界にも上には上がいることはわかっている、けれど、このように力の差を見せられては、どんどん自分に自信が持てなくなってくるわけで。
王家の儀式という特別な試練を前にしているとあっては、どんな不安要素も命取りとなる。
焦りが、クラビウスを支配していく。
隙を見計らって、クラビウスはパーティから離れていた。
パーティはキャンプの南方を、いつでも戻れるような範囲内で魔物を狩っていた。
1人逃げる形になるが、戦闘中に離れるのが最も簡単だろうと判断して。
部隊に気付かれないよう、北方を目指していた。
王家の山に入るつもりはなかった。
別のパーティが魔物を狩っていて、すぐに見つかってしまうという心配もあったが。
儀式の下見なんかしていい点を取ろうとか、そんな考えは自分の忌み嫌うものでもあったから。
ただ、王家の山に近いところなら、強い魔物がいると思った。
今のむしゃくしゃした気持ちを紛らわせてくれるようなツワモノ。
何も考えられなくなるくらい、ただ生に執着するしかないような相手。
クラビウスはそれを求めていた。
1人で複数を相手にするのはさすがに骨が折れる。
愛用の槍の他にブーメランも持ってきていたから多少は楽だったが。
魔力も、できるなら攻撃よりも回復に温存しておきたい。
その前に、クラビウスはそれほど魔法に長けてはいないから。
魔物の気配と、自分を探す部隊の気配。
両方に注意しながら前に進むも、頭の片隅ではずっと兄のことを考えていた。
どうしてエルトリオはあんなことを言ったのだろうか。
兄のあんな言動、今まで見たことがない。
隠してきただけで、兄はもともとあんなことを言うような人間だったのだろうか。
威信や権力、地位に固執するような人間だったということだろうか。
優越感のためだけに、あのようなことを言うような――。
あの時クラビウスは、兄に励ましてもらいたかったのだ。
難しい魔法だけれども、クラビウスなら努力して習得できるよ――そう言ってほしかったのだ。
兄に、優しい言葉をかけてほしかった。
優しい笑みで、不安を打ち消してほしかった。
ただ、自分の求めていたものを兄はくれなかったから。
だから自分は癇癪を起こした子どもみたいに、あのような言葉を投げつけてしまったのではないだろうか。
今考えれば、そう思えなくもない。
魔物を一体一体地に叩き伏せながら、昂ぶった気持ちは冷静になっていく。
そのうちに、兄のあの言葉にはやはり何か裏があったのではないだろうかと思えるようになった。
兄の弁解も聞かずに飛び出してきた。
きっと、兄は今頃自分を捜しているに違いない。
何匹目かのアークバッファローを倒したころには随分と気分もすっきりしていた。
あまり皆に迷惑をかけてもいけない。
十分に自分の身勝手な行動を自覚していたから、そろそろ宿営地に戻ろう――そう思い立ち、引き返そうとした、その時だ。
辺りに、これまでに感じたことのないほどの殺気を感じた。
それも1つではない、取り囲むように、その数、十数体。さらに今自分がいるのは崖に囲まれた窪地、相手は自分を見下ろす形をとっている。
不利な状況だ。
考え事に夢中になりすぎていただろうか。
それとも、こちらに気配を感知させないほどの知能を持った魔物だろうか。
緊張が走る。
相手の正体がわからないことにはこちらから動くことはできないが、かといって攻撃されるのを易々と待っている訳にもいかない。
どうする。
そもそもこの数相手に勝つことができるだろうか。
呪文を唱えて怯んだところを逃げた方がよいのではないだろうか。
しかし、強い魔物だったら?
逃げる前に後ろから不意打ちにされる可能性だって高い。
1人で行動していた己の軽率さが恨めしい。
このような局面に立たなければ1人になることの危険性を理解できなかった自分の無知さ加減が呪わしい。
内省すれば今の状況が変わるわけではないとわかっていても、自分を罵らずにいられない。
ここは退く方が賢明だろう。
自分を囲んでいる気配の数を改めて探る。
大きなものが、3。
それよりも一回り小さいもの、けれどもその大きさはまだ自分と同じくらいのもの、10、いや11。
息を潜め気配を殺しているが、それでも魔物は魔物だ。
囲んでいるつもりでも、どこかに穴があるはず。
隙を与えないように、細心の注意を払いながら、神経を研ぎ澄ます。
左後方に、比較的大きな間合いがあった。
そこから森へ入ればなんとか撒けるかもしれない。
意を決したクラビウスは、今自分が使える中でも最高の魔法――バギマの詠唱に入った。
この魔法がどれだけ通用するかわからないが、これに賭けるしかない。
一歩、また一歩。
にじり寄ってくる気配。
焦る。
しかし、焦燥は魔法の威力を鈍らせる。
集中しなければならない。
致命傷を与えられればそれでいい、少なくとも相手を怯ませるだけの威力がなければならないのだ。
茂みが揺れる。
大地を踏みしめる気配、次第に近くなる。
影が、差す――。
「……っバギマ!!」
叫んだ瞬間、躍り出た影に竜巻が襲い掛かった。
上から落ちてくる大小の物体。
飛び上がったところで与えられたダメージに、着地の体勢を崩している。
その様を、クラビウスは駆けながら視界にとらえていた。
襲い掛かってきたのは、バトルレックス。
大きな斧を携えた竜の魔物だ。
大小さまざまなものがいるところからして、おそらく親子か何かなのだろう。
それにしても、バトルレックスがこれほどの規模で群れるという話をクラビウスは聞いたことがなかった。
その驚きが、油断を生んだのかもしれない。
前方にもう一体、別のバトルレックスが現れたことに、気付かなかった。
その姿を認めた時には、もう大きな斧が振り下ろされ始めていた。
致命傷ではなかったものの、一撃そのものを避けることはできなかった。
さらにまずいことに、一撃を受けたクラビウスの身体は吹っ飛び、体勢を立て直したバトルレックスたちの格好の標的となっていたのだった。
避けなければやられてしまう――何とか立ち上がったクラビウスだが、浴びせられるだろう攻撃に備えるにはまだ身体が言うことをきかなかった。
大きいバトルレックスが、小さいバトルレックスに目配せをする。
視線を受けたバトルレックスが前に出て、斧を大きく振りかぶる。
バトルレックスにしては身体が小さいとはいえ、クラビウス自身とそれほど大きさは変わらないのだ。
そこから振り下ろされる攻撃は、人間が同様の斧を振り下ろしたよりも威力は大きいだろう。
つまり、まともに受ければ即死するということだ。
死ぬ、のだろうか。
自分はここで。
確かに自業自得と言ってしまえばそれまでだ、それだけ軽率な行動をしたのだから。
死に恐怖を感じていないわけではないけれど、かといって生に執着しているわけでもなかった。
どうせ王位は兄が継ぐのだ、兄が死ぬよりは全然マシだろう。
悔やまれるとしたら、兄の真意を知ることができなかったことだろうか。
兄なりの配慮があっただろう、あの言葉。
その裏に隠されたもの、それが気になるといえば気になるが――。
今この状況は自分の短慮が引き起こしたもの、その責任を取って運命を受け入れるくらいの潔さは持ち合わせているつもりだった。
当たる――避けようにも身体が動かなかったから。
目を瞑るしかなかった。視界が閉ざされるから、他の感覚はより敏感になって。
痛みを余計に感じてしまうかもしれない。
来るべきそれに備えて、身体を強張らせていたのだが。
しかし。
覚悟していたような痛みはいつまで経ってもやってこなかった。
それよりも前に、温かい何かが、身体に押し被さってきた。
包むように、守るように。
地面に、押し倒された。
そして。
「くっ……」
呻き声が、した。
その声が誰のものであるか、思い当たるところがあるクラビウスは、その人の名を思い出すより前に目をこじ開けていた。
目の前は、正確に言えば真っ暗だった。
けれど、目前にあるそれが、誰の服であるかもわかっていたし。
触れる体温が誰のものかもわかっていた。
エルトリオだ。
大丈夫?
そう訊ねられたような気がして、クラビウスは無意識にその背に手を廻し、力を込めることで応えていた。
どうしてこんなところにいるのかと疑問に思うよりも、今ここにいてくれることの方が嬉しくて。
他に何も考えられなかった。
だから。
「僕の下から、絶対出ないで」
自分を庇うように覆いかぶさってくる身体の真意を理解するのに、思ったよりも時間がかかってしまった。
自分はバトルレックスの攻撃を受けようとしていたのだ。
それを悠長に、自分は一体何を考えていた?
すぐさま体勢を立て直さなければ、自分はおろか、エルトリオまで――。
身じろいで起き上がろうとしても、エルトリオに身体の自由を奪われていた。
絶対出ないで、と言うまでもなく、エルトリオが出さない気なのだ。
細い身体のどこにそんな力がある、と思うほどにクラビウスは拘束されて動けない。
短い時間だったのだろう。
けれども、クラビウスにはとてつもなく長い時間に感じられた。
1度、2度……エルトリオの身体を介して衝撃が伝わってくる。
エルトリオが、自分の代わりに攻撃に晒されている。
どうしてエルトリオがこのような目に遭わなければならないのだ。
今この状況は自分の身勝手が原因でおこったこと。
エルトリオが傷ついていいはずがない。
「……っけよ、兄さん!
俺のことはいいから、逃げろよっ!」
少なくとも兄は、王位を継承するのだ。
必要とされている人間だ、死んではならない。
「俺になんか、構うなっ……兄さんは、生きなきゃならないだろっ!」
叫んでも、拘束は緩まない。
それどころか、抱き締める力はより増した。
「どうして、そんなこと言うの。
『俺になんか』とか、言わないで。
クラビウスは僕の、たったひとりの、大切な、弟なんだから」
言い含めるように、一言一言。
顔は見えないけれど、今兄が、どんな表情でそれを言ったか。
クラビウスは手に取るようにわかった。
唇を噛み締めた、哀しげな貌。
兄のそんな貌は見たことがない。
そんな表情をさせているのが自分だと思うと心苦しくなる。
そして、理解する。
兄はやはり、自分が思い描いていたような、思いやりのある心優しい人物なのだと。
あの一件は自分の誤解だったのだと。
「クラビウスがひとり立ちするまでは、僕に、守らせてよ。
――僕が、守るから」
静かだけれども、強く呟いたエルトリオは。
クラビウスを守る力を、より一層強め。
そして。
「ライデイン――――ッツ!!」
その呪文を、唱えた。
同時に、兄の身体の下にあっても目が痛くなるような閃光が世界を包んでいた。
光と共に、世界は一切の音を失くした――ように思えた。
あまりの轟音に、脳がそれを音と理解しなかったのだと、クラビウスは後になって思う。
ビリビリと空気が、大地が震えるのがわかる。
静寂の時間は一体どれくらい続いていたのだろうか。
クラビウスはただ、兄が庇ってくれていたおかげでこのように静寂を感じていることができているのだと、ぼんやりと考えていた。
地鳴りも止み、風の音が平静を取り戻した頃、ようやく覆いかぶさっていた兄の身体が自分から離れた。
起き上がった彼は、どこか痛むのか顔を顰めながら、けれどもクラビウスを起こそうと手を差し伸べてきた。
「大丈夫、だった?」
兄はそう言うけれど、クラビウスは兄の方こそ心配だった。
身体を鍛えていて、そこらの鎧よりも丈夫な魔力の込められた服を着ているといっても、その身体が無事であったはずがない。
兄の手を借りずに起き上がったクラビウスは、素早くその背に回りこみ、傷の有無を確認する。
服は破れ、血を吸い込み赤黒くなっている。
大きな傷が、右肩から斜めに背中を走っていた。
「ごめん、兄さん……」
自分のちゃちな魔力では到底塞がらないとは思う。
けれど、少しでも血が止まればと、クラビウスは一心不乱に回復魔法を唱え続けた。
エルトリオが止めるまで。何度も何度も。
腕を掴んで止めても、嫌々をするように唱え続けて。
それでも止めずにいて、ついには抱き締められぽんぽんと頭を叩かれた。
あやすように、優しく。
「大丈夫だよ、クラビウス。
お前のおかげで大分楽になったから。
あとは城に帰ってから、医者に見てもらう。
魔力を使い果たしては、クラビウスが帰りまでもたないだろ?」
「大丈夫なのか?
本当に?」
「ああ。
丈夫なのだけが取柄だからね」
笑うエルトリオを見て、ようやく張り詰めていたものが切れて。
クラビウスはその場にへたりと座り込んでしまった。
様々なものが押し寄せてくる。
後悔や自己嫌悪、そして恐怖。
短時間に我が身に降りかかった出来事を処理しようと、脳が動き出す。
そしてはたと、今こうして自分が暢気に座っていられることに気がつく。
魔物は、全滅したのだろうか――?
周囲に目を向けると、そこは、先ほど見た景色とは一変していた。
そこここに名残は残している、大地の形とか、そういう根本的なところは。
けれど、生い茂っていたはずの樹々は焼け爛れ、未だプスプスと煙を上げているものもある。
生き物の焼けた臭いも鼻につく。
臭いの元には、竜の残骸と思しきものが転がっていた。
その傍らには大きな斧が刃の部分だけ残して落ちている。
その惨状を目の当たりにして、兄が唱えた魔法が、今まで見たことも聞いたこともない雷の魔法だったのだと脳が答えを導き出した。
しかし、呪文ひとつでここまでやったということだろうか。
信じられない気持ちでエルトリオを見遣ると、彼は痛ましげに微笑んだ。
「先生が教えようとしてたのはこの魔法だよ。
恐ろしいだろ?
呪文ひとつでここまで破壊してしまうんだ」
言いながら、エルトリオは斧の残骸に近づく。
柄の部分が僅かに残っているものもあったが、持ち上げればそれはすぐに崩れ去った。
風に運ばれていく炭の欠片を見守るエルトリオの姿に、クラビウスは理解した。
何故エルトリオが、クラビウスがその呪文を習得することに難色を示したのか。
エルトリオはこの魔法を習得していることを、決して鼻にかけたりはしないだろう。
むしろ、忌み嫌っているようにも見える。
自ら進んで魔法や武術を学んでいるけれども、エルトリオは好戦的な人間ではない。
不必要な争いや破壊は避ける人だった。
そんな兄を見てきたクラビウスも同様の考えを持っている。
むしゃくしゃしていたから、という理由で今回は討伐隊に参加したけれども。
この魔法は威力が大きく、そしてリスクも大きすぎる。
その恐ろしさは、今目の前に広がっている惨状を見れば明らかだ。
使うタイミングや場所をきちんと考えなければ、無用な破壊を招き、命を奪うことにもなりかねない。
たとえ習得しても、使わずに済むならそれに越したことはないだろう。
エルトリオも本当は、こんな魔法使いたくはなかっただろう。
自分以上に自然を愛する人であり、何より心優しい人だ。
今も命果てた魔物に、すまなさそうな顔をしている。
けれど、兄はこの魔法を使った。
自分を助けるために。
「ごめん、兄さん」
「…………」
「こんな魔法、使わせちゃって」
振り返ったエルトリオは、すっと表情を無に変えた。
怒りを顕にされるより、余計に怖い。
兄弟としてずっと一緒に育ってきたけれど、兄のこんな顔、今まで見たことがない。
「それは構わないよ。
けれど謝るなら、もっと別のことに対して謝ってもらわないと」
「うん……」
「今、どれだけの人がクラビウスのことを心配して探していると思うの。
自分の身勝手な行動が、どれだけ他の人に迷惑をかけているか、きちんと反省している?」
「……うん」
「お前もいずれ人の上に立つ人間だ。
そんな人間が軽率な行動をとるだけで、犠牲になるものがあるんだっていうこと、きちんと理解している?」
「……うん、本当に、ごめん」
死を意識したあの瞬間に後悔も反省もしたはずだけれど。
兄に蕩蕩と言い聞かせられるのは、それとはまた別の効果があるように思う。
この人を裏切るようなことだけはすまいと、自然と思えてくる。
「これからは絶対、こんなこと、しないって誓うよ」
上目遣いに兄を見ると、彼はいつもの顔に戻っていた。
優しい笑みで、見返してくれる。そして。
「それなら、いいよ。
――クラビウスが無事で、本当によかった」
強くクラビウスを抱き寄せた。
エルトリオの気持ちの大きさを示すような強い抱擁に、クラビウスも胸が一杯になる。
どれだけ自分を大切にしてくれているか、どれだけ心配してくれたか。
感謝してもしきれない。
そしてそんな兄の気持ちを疑うような真似をしていた自分を恥かしく思う。
「ごめん、兄さん。本当にっ……!!」
兄に縋りついて泣くなんて、何年ぶりのことだろう。
もうすぐ儀式を受ける、一人前予備軍の自分だけれど。
やっぱりまだまだ子どもで、いつまで経っても、自分はこの人の弟なんだ。
――声を殺して泣きながら、クラビウスは思った。
そして、この人の力になれるのなら、自分は何だってしようと決意する。
できるだけ近くにいて支えたい。
大好きな、兄だから――。
兄弟萌え。
…………スミマセン(笑)
あと少し、続きます