text : 今日からマ王!
[ proof of life ]
もう何十年も前のことだ。
この村を、初めて訪れたのは。
その時この村は、眞魔国にあるのにこのザマは何だと思うほど酷い有様だった。
母が国を統治していながら、と愕然とした憶えがある――もっとも、実権は母の兄、つまり伯父が握っていたのだから、そう思うことは若干ズレていたといえばズレていたのだが。
今この村は、その当時の面影をほとんど残していない。
田畑には様々な作物が実り、ぶどう園ではよく熟れたぶどうが所狭しと生っている。
村の中も、そして村のまわりも、花が咲き乱れて芳しい香りが辺り一面を包んでいる。
小高い丘から見渡せば、当時とどれだけその姿を変えたか。
言葉で説明するまでもなく明らかだった。
長閑で、平和な村になったと思う。
小川のせせらぎと一緒に、子どもの遊ぶ声が風に運ばれてきて。
グウェンダルは――普段は深い皺を刻んでいる目元を緩め、口許に笑みを浮かべていた。
「平和で、いい村だよな」
背後から声をかけられて――そう、普段ならこのように背後に立たれ、不意に声をかけられると、つい表情を固くして振り返ってしまうのだが――、今日ばかりは、その緩んだ表情のままで声の主を振り返った。
そのグウェンダルの表情に、声をかけた人物、ユーリは些か目を瞠ったが。
すぐさま彼も表情を綻ばせた。
「ヨザックから聞いたんだ。
この村の治安とかって、グウェンダルが担当してるんだってな。
ヨザックの故郷――って言ったら、厳密には違うんだろうけど。
そう聞いて、俺、世話してるのはコンラッドかと思ってたんだけどさ」
魔族と契った人間、圧政に耐えかねて国を捨ててきた人間、そして、その子孫たち。
彼らのことを、同胞と素直に呼べない魔族がいることを、王として、ユーリは知っていた。
もちろん、そんな意識をなくさせるのがユーリの目標のひとつでもある。
誰もが平和に、幸せに暮らせる国に――世界に。
価値観が違ったりする向こうの世界とこちらの世界だけれど、それはどこの世界も変わらないと思う。
向こうの世界で十数年生きてきて、未だこちらの世界の全てがわかっている訳ではないけれど。
それがユーリの願いだ。
疎まれていた、魔族であって魔族でない者たち、人間の国を捨て眞魔国に来た人間たち――彼らの潔白を、忠誠を示すために、命を捨てる覚悟で戦地へ向かったコンラート。
それほどまでのことをする彼だから、その村の後ろ盾には言うまでもなく就いていると、ユーリは思っていたのだ。
だが、この村出身のヨザックの話によれば。
この村の責任を負っているのはグウェンダルなのだという。
ユーリはそのことに、驚きつつも心に温かいものが広がっていくのを感じていた。
誰よりも魔族と眞魔国のことを思っているグウェンダルは、そのためならば身を削るような決断も冷酷に下すような男だ。
純粋な魔族が集っているわけではないこの村は、グウェンダルにとっては即刻切り捨てていいような、そんな村に映っていたのではないかと。
余計な心配をしてしまっていたのだ。
「詳しくは聞いてないけど……特別な村なんだってな。
グウェンダルの今の顔見ててもわかる。
なんか……すごく嬉しいよ」
「…………何がだ」
そんなユーリの胸中を知る由もないグウェンダルは、たちまちいつもの、眉間に深い皺を寄せた表情に戻ってしまう。
もちろん、それを残念に思うユーリの胸中もまた、グウェンダルは知る由もないわけだが。
「グウェンダル、この村の様子見て、すごく、満たされた顔してた。
グウェンダルの描く、平和で幸せな生活がここにある、ってことだろ?」
グウェンダルの横に立ったユーリは、村を見下ろし、手を振った。
見ると、麓で遊ぶ子どもらがこちらに手を振っている。
こんなに大手を振って、と、王として上に立つ者の立場を思えば、これは嗜めて然るべき行為なのだろうが。
グウェンダルにそういった感情は起こらなかった。
むしろ、この彼がいてこそ、自分の望む幸せな生活があるのではないかと、そう思えてくる。
そう、この村の人々の生活は、グウェンダルが描く幸せな生活のひとつである。
幸せな暮らしというものは人それぞれで、まだまだ他にもあると思うから。
だから「ひとつ」。
ユーリの指摘するところは、確かに的を射てはいる。
だが、それがどうしたらユーリを喜ばせることになるのだろう。
答えを見出せないまま、子どもたちに笑いかけるユーリを見つめていると、彼の方こそ満たされた顔をして、グウェンダルを振り返った。
「俺も、この村みたいに、眞魔国全部――それだけじゃない、世界全体の人々が幸せに暮らせたらって思ってる。
グウェンダルの描く幸せと、俺の描く幸せ、それがとても近いものだってことだろ?
そんな人が俺の傍にいて、俺を支えてくれているんだから――これ以上の心強いことって、ないと思わないか?」
目指すものが同じなら、俺はもっと頑張れるから――と、ユーリは眩しいほどの笑顔でグウェンダルを見つめる。
新たに王位に就いた、異世界で育った少年は。
まだまだ王としての自覚が足りないが。
グウェンダルがこれまでに出会った、どんな権力ある者とも違っている。
権力を笠に、いくらでも贅を凝らした豪奢な生活ができるというのに。
未だ1人の広い浴場は慣れないと言っている。
民の治める税で生活させてもらっているのに、どうして遊んでいられるんだと、一日も早く政を行えるようにと日々努力している。
考えてみれば、まだ16歳の少年なのだ。
たとえ、眞魔国の子どもが、16歳でその後の自分の人生の決断を迫られるとはいえ。
グウェンダルの末弟であるヴォルフラムと、外見の年齢がそう変わらないから、つい同等の年月を生きてきた者のように考えてしまうとはいえ。
眞魔国に来てからは、まだ1年と経っていない――この国の、この世界の知識に関しては、子どもも子どもと言っても過言ではないくらいなのだ。
グウェンダルは過去、先王の時代に苦い経験を何度もしてきた。
自分の思い通りにならない現実を突きつけられて。
己の非力さを思い知らされた。
己の個人的欲求の充足ができないから、苛立っていたのではない。
人々の、命や幸せな生活が失われていくから。
それが我慢ならなかった。
母が王位を退いた時は、安堵さえしていたのだ。
これで変わる、と。
変革を望んでいたのだから、眞王は母の退位を許したのだ。
眞王が新たに選ぶ王は、少なくとも今の状態を帰るような者であるはずだから。
グウェンダルは、密かに、そして彼の周囲が考えているよりは大いに、新しい王に期待していたのだ。
当初こそ、こんな子どもが――と思っていたわけだが。
しかし、すぐにその芯にある強さを知ることになる。
誰よりも正義感が強くて、それが災いして周りが見えなくなることもあるが。
その熱さが逆に、グウェンダルを冷静にしてくれる。
彼が感情剥きだしに、理不尽な悪に怒ってくれるから。
どうすればその理不尽を排除することができるか、客観的に考えることができる。
ひとりでは見誤っていたかもしれないことも、彼が居てくれるおかげで対処できる――そんな関係を、ユーリとは築いていける。
グウェンダル自身そう思っていたところへ贈られたユーリの言葉は。
不意打ちのようにグウェンダルの心に強く響いた。
あの苦しかった時代も、彼との関係をよりよく思うためにあったのかもしれないと――あの時代に失われたもの・犠牲になったものたちに対して冒涜にもとれるようなことを考えてしまう。
それだけ大きい存在になっているのだ。
グウェンダルにとって、ユーリの存在は。
「――――聞きはしないのだな。
どう『特別』かは」
この村の存在と自分との関係は、そう易々と他人に踏み入れられたくはない領域ではある。
しかし、ユーリになら、踏み入れられても構わないと思う。
ユーリとなら、共有してもいいと。
「そりゃグウェンダルが話してもいいって言うなら、いくらでも聞きたいよ。
でも、特別だからこそ、俺なんかが、って思うところがあるからさ。
俺は、グウェンダルがそうやって満ち足りた表情してる、それくらい特別なんだってことがわかるだけで、十分だよ」
本当は聞きたくてうずうずしているだろうに。
大人ぶって、グウェンダルのことを優先する。
いつもは、いつまで経っても子どもだと思わずにいられないから。
そう装ってみせることに、グウェンダルは我知らず、口許に笑みを浮かべる。
「な、なんだよ」
「いつもバカ正直に、己の意思を貫こうとしているのだ。
こういう時に遠慮するものでもなかろう」
言外に、融通のきかないときばかりに自己主張するのだと言ってやると、途端にぶすくれた顔をする。
表情豊かなのは、それだけ心にゆとりがあるということ。
充実した生活を、彼もまた送れているということ。
グウェンダルの望むような、幸せな時を生きているということ。
それを確認できて、グウェンダルの気持ちもまた上昇する。
「この村は――――」
最も嫌っていた男の遺した村だと言ったら、ユーリはどう言うだろう。
最も嫌いだった男が、誇りに思っていた村だから特別な場所だと言ったら。
『今は嫌いじゃないんだろ?
いや、前だって。
本当は、嫌いじゃなかった』
グウェンダルの真相を、こともなげに言ってのけるのだろう。
『好きだって言っていいくらい、大きな存在なんだよ』
誰よりも大きな存在と、ユーリもまた言うかもしれないが。
ダンヒーリーより大きな存在になり得る者がいるとしたら。
それが自分だということには気付かないだろう。
ダンヒーリーの背中は、追っているしかできなかった。
いつまでも、追いつくことのできない存在だから。
だから、誰よりも大きな存在だ。
だが。
彼は、魔族と人間の違い――この世に在ることのできる時間の長さの苦悩と生涯戦っていた。
短い人生だからこそ、いのちの証を遺そうとしていた。
当時の自分とほとんど変わらない年月を生きていながら、もう幾許も先がないことを悟って。
遺していかなければならないものに、遺していけるものを探して旅を続けていた。
数十年生きた者が、やっと見つけたいのちの証。
それがグウェンダルに与えた影響は大きい。
けれど、ユーリは。
たった十数年生きてきただけで、それに匹敵するほどの大きなものをグウェンダルにもたらしている。
永遠に追いつけない者と、追いつこうとしている者。
ダンヒーリーとユーリを区別するならば、時間に囚われているか否かだ。
それは、完全な人間か、人間の血を引く魔族か――それに起因するものではあるが。
少なくとも、グウェンダルに与えた影響、それがその者の、どれだけの人生を積み重ねて作り出されたものなのか――それを比較するとすれば、ユーリの方が圧倒的に勝っていた。
かといって、ダンヒーリーの存在が、グウェンダルの中で小さくなるわけではない。
いつまでも大きい存在のまま、追いかけるべき存在のままでいるはずだ。
ユーリはユーリで、グウェンダルの中では別の「特別な存在」という位置にいる。
共に歩める存在――グウェンダルの方が長く生きている分、その時間は短いだろうが。
ダンヒーリーが抱えた苦悩を、同様に抱えることになるかもしれないが。
特別な存在があるだけで、それだけ心は豊かになる。
過去のグウェンダルを知る者が、今の彼を見たのなら。
「変わった」と言うかもしれない。
魔族ではない者たちの村を気にかけていると知って、驚くかもしれない。
けれど、この少年はきっと。
『そんなことないさ。
グウェンダルは、昔と全然変わってない。
ただあんたが、そんなグウェンダルに気付いていなかった――それだけなんだよ』
そう言って、笑うのだろう。
そんな彼だからこそ、共有したいと思う。
彼にも何か感じてほしいと思う。
あの男が自分に与えた転機から、彼も何か感じてくれたなら。
またひとつ、あの男が生きた証が受け継がれることになる。
そして、グウェンダル自身が生きている証も。
人間と魔族、その違いは生きることのできる時間の長さだ。
魔族と共に過ごせば、その短さをより強く意識させられる。
だが、魔族とて、それは変わらない。
刻一刻と近づく終わりの時。
自分より若い者と生きようと決めれば、終わりまでの時間がその者よりも短いということを意識せずにいられない。
命尽きて、この世から消えてしまうというのなら、せめて別の何かを遺していきたいと考える。
人は必死に生きた証、いのちの証を探そうとする。
自分が消えた後も、世界に留まる存在に、何かしら影響を与えるモノを。
人は、いつ死ぬか分からない。
いくらこの村の人々が、眞魔国の人々が幸せな生活を送ることができているとはいえ。
大シマロンを含めた人間の国々との不安定な状態が続いていることに変わりない。
グウェンダルとて死に急ぎたいわけではないが、明日死ぬ可能性を否定できないのだ。
だからこそ、いつ死んでも後悔しないように、常に、生きた証を残しておきたいと思うのだ。
願わくは、少年が、自分の生きた証を受け止めてくれることを。
そして、彼の生きた証と共に、いつまでも世界に受け継がれることを。
グウェンダルは、目を閉じ、風を感じる。
静かに、この村にまつわる自分の想いを紡ぎだした――
あんまり中身があった内容とは言い難いですが……
自分としては大冒険でした。
つ、ついにやってしまったよ、まるマで二次創作……ということで。
アニメを見て、『いのちの証』の回がグウェユに繋がるなら。
コンラッドたちグウェンダルに近しい人たちでさえ、踏み入れようとしない領域に、ユーリが入り込むって話しかないだろう!(いや、それだけ、とは言わないけどさ)とか考えまして。
妄想が驀進した結果がこのお話でございます。
……といっても、完成するまでに、優に1週間以上かかったわけですが。
まぁ、1週間経ったおかげで、次の回『逆襲大シマロン』の、「グウェンダルが単身敵地へ向かった理由」に抱いた萌えも若干絡めつつ書けた気がします。