text : PAPUWA the parallelos
[ あこがれのひと ]
退屈だ、と思う。
もちろんやるべきことはそれなりにある。学生の本分は勉強することだ。義務教育を終えているのに高校に通うのは勉強するためで。その本分はそれなりにまっとうしていた。友達付き合いもそれなりにこなしている。休み時間にどうでもいいことをだべって笑いあって。昼休みには立入禁止の屋上で昼食を食べて、たまには中庭で身体を動かして。
何もすることがないと嘆くような暇はないけれど、それでも退屈なのは退屈だった。
その理由をコジローは知っていた。あの人が、いないからだ。
あの人とは、コジローの遠縁の叔父にあたる人だった。外見からしぐさ、包む雰囲気まで、すべてコジローの憧れだった。一緒にいると楽しい、安心できる、新しい世界を知ることができる。自分よりずっと、強い人だ。
世間はスポーツ万能成績優秀とコジローを褒め称える。しかしコジローは自分をそんな人間だとは思っていない。ただ単に、少しばかり器用なだけだった。ちょっとやってみれば要領が掴めて、そんなに努力することなく人並みのことができてしまう。それだけなのにこんなにも周囲が自分のことをもて囃すのは、コジローの血筋がそうさせているに過ぎないのだ。
コジローは、「青の一族」と呼ばれる血筋に生まれた。歴史に名を残しているガンマ団を統べていた一族だ。「秘石眼」という特殊な目を持ち、常人には持ち得ない力も持っているという。ガンマ団を統べていた一族は、世界政府樹立後、要職の多くを占めることが多かった。最たるものが、コジローの祖父だろう。コジローの祖父は、世界政府初代総監を長年務めていた。
歴史に残るガンマ団を統べていた一族であり、歴史に名を残すだろう世界政府の初代総監の孫――それだけで、コジローは特別な力を持っているように周囲から扱われてきたのだ。特別何かに秀でているわけでもないのに。何もかも誇張され、誤った自分を認識される。幼い頃からコジローは、世間のそんな風潮を敏感に感じ取っていた。
ならば、一族内ならばそのような扱われ方をしなかったのかというと、実はそうでもない。一族内でもコジローは特別な存在だったのだ。祖父以来、一族に生まれてこなかった双つの秘石眼の持ち主ということで。
だからといってそれまで特別不快な想いをしたわけではなかったが、それでもその「特別」な扱いをされなかったのが嬉しかったのだろう。初めて叔父に会った時、彼が自分を「特別」だと意識しているとは全く感じられなかった。
『俺のこと、憶えてるか?――っつっても憶えてるわけねーよな。オマエはまだ生まれたての赤ん坊だったし』
その時の笑顔を、コジローはどこか懐かしいと思った。懐かしいと思ったということは、以前にも見たことがあるということで。きっと、その生まれたての赤ん坊だった頃にも、この人は同じように笑いかけてくれてたんだろうな――そう思うと胸が熱くなった。
祖父の影響で自分が特別扱いされているのだと思っていても、その祖父が嫌いなわけではなかった。むしろその逆で、同じ青の双つの眼を持つ祖父がコジローは大好きだった。引退するまで忙しくて会うことも儘らなかったが、それでも時間の許す限り自分を可愛がってくれた。いつでも好きな時に寄れと言ってくれて、よく祖父の家に遊びに行ったものだった。多忙な祖父だから、その訪問が空振りに終わることは多かったが、祖父が会えない時、いつも相手をしてくれたのが叔父だったのだ。
「……ロー……、おい、コジロー」
クラスメイトの呼ぶ声に、コジローは我に返った。いつの間にか授業は終わっていて、慌しい雰囲気が教室を包んでいた。退屈だと思っていた時間が、考えごとをしているうちに終わってしまっていたことに、コジローは少しばかり驚きを覚えた。
「なに?」
机に乗っていたペンケース諸々をカバンに入れながら、コジローは声をかけてきたクラスメイト・マツザカに問いかける。マツザカはコジローの素っ気ない態度に軽く溜息をつく。
「確かオマエ、女子から呼び出しくらってたんじゃないのか?放課後話があるからって。なのに帰んの?」
「あんなの、話持ちかけられた時に断ったよ。放課後にならなきゃ言えないような話なら聞くだけ無駄だし」
「冷たいよなー。それなら一緒に帰らねぇ?途中どっかに寄ってこーぜ」
「校門までなら付き合ってやってもいーぜ。そっから先は先約があるからな」
「ホント、コジローって冷たいっ!友達より女子より叔父さんとるんだっ!」
「それのどこが悪いってんだよ」
別にその叔父に会うとは言っていないのだが。それでもコジローの様子でわかってしまうらしい。マツザカは大袈裟に「やっぱり冷たいっ!」と喚いてみせる。そんなマツザカを横目に、コジローは廊下へと出た。廊下はしっかり人で溢れかえっていて、人の間をすり抜けながら昇降口へと向かう。
「呼び出してきたのって、2組のヒサイだろ?かわいーのに、惜しいことしたよな〜」
「そーか?」
靴箱から靴を取り出して、代わりに今まで履いていた上靴をしまいこむ。
「そーだよ。な、5組のアオヤマとどっちが好みなんだ?」
「興味ねー」
空は上天気で、少し動けば汗ばむくらい。一月も前に花びらを散らした桜の樹が緑の葉を風に揺らしていた。こんなに気持ちいい陽気だというのに、それとは反対にマツザカは、放課後になってから幾度となくついた溜息を漏らした。
「……ホンっト冷たい反応だな。もったいねー。オマエもてるのにさ」
自分がもてるもてないはこの際どうでもいいのだが。コジローとて鈍感ではない。今この瞬間自分に向けられている多くの視線に気付いていないはずがない。それらに含まれる何かしらの感情。しかし、それらはコジローにとっては迷惑なものばかりだ。今まで嫌というほど受けてきた、一方的なもの。
祖父たちの偉業からついてくる偏見と、人目をひく外見だけで自分を判断してくるような、そんな視線だ。そんな視線を投げかけられることに慣れすぎて、コジローは幾分か人間不信に陥っている節があった。
「興味ねぇんだから仕方ないだろ。さっきから人のこと冷たい冷たい言いやがって」
それでも、これでもコジローはマツザカに関してはそれほど悪い印象は持っていない。学校という環境の中で、コジローに分け隔てなく接してくれる数少ない一人だ。これでもマツザカに対しては、他のクラスメイト達よりはマシな態度をとっているつもりだ。
「本当のことだろ。現に――」
「あっ!シンタローさんだ!シンタローさーん!」
「そらみろ」
人を信じられないで生きてきて、けれどもこれまでの人生がそれほど苦でもなかったのは、やはり叔父の存在が大きかった。遠縁の叔父ということから、その叔父も青の一族にかわりないのだが。秘石の眼を持たない叔父は、コジローにはどちらかといえば外の人間に近い印象を受けていた。その彼だけでも、自分を普通の子どもに扱ってくれる。それだけで、コジローは十分だったのだ。
学校の前を通る広い車道の、向こう側の通りに1台の赤いオープンカーが停まっている。こちらには背を向けて、空を仰いでいる長髪の男。それがコジローの叔父、シンタローだった。もう春が訪れて久しいというのに、未だロングコートを身に纏っている。しかも黒のロングコートであるため、全身黒ずくめだ。自分の世界にこもっているのか、名を呼ぶコジローに気づいた気配はない。
「オマエ、あの人の前だとキャラすげぇ変わるよな。一体どっちが素なんだよ」
コジローがマツザカに対してマシな態度をとっている分、マツザカもまたコジローのこの二面性を知っていた。だからこそ、先程あんなにも冷たいと連発していたのだろう。そう納得しつつも、コジローはマツザカをねめつけた。
「どっちだろーが関係ねぇじゃん。俺だってことに変わりねーんだし」
「そりゃそうだけどさ。――さすが親戚なだけあるよな。オマエもあの叔父さんも、人目を引くったらありゃしねぇ」
校門を出て行く生徒達の視線を独り占めしている叔父を、コジローもまた熱っぽい視線で見つめる。内心、自慢の叔父をどこの誰とも知らない人間に曝してしまっていることにもやもやしたものを感じてもいるのだが、それさえも霞む叔父の洗練されたその美貌。コジローは眼を細め、熱い吐息を零した。
「確かにシンタローさんはかっこいいよ。俺の憧れの人だからな。――……惚れるなよ」
「誰が。それにしても、一体いくつなんだよ、オマエの叔父さん。全然『叔父さん』なんて風体じゃねぇじゃん?」
「一族にも時々いるんだってさ。年相応に見えない人って。シンタローさんの叔父さんにも、そういう人がいたらしい。いつまで経ってもキレイだったんだって。シンタローさんもそうなんだよ」
「……本当にキャラ変わるよな。叔父さん絡みだと。知らないヤツが見たら失望すると思うぞ、そのギャップ」
「本人がそれで幸せなんだから、オマエには関係ないだろ」
「へいへい、すみませんでしたよ。その至福の時を邪魔しちまってな。――んじゃな」
校門を出たところでマツザカと別れた。早く通りを渡ってしまいたい衝動を抑えながら、社交辞令程度に遠ざかっていくクラスメイトの背中に手を振った。
いつもなら車の通りも少ないこの道も、こういう時に限って交通量が多かったりする。どうしてみんなして俺とシンタローさんとの仲を引き裂きたがるんだ、などと理不尽でどうしようもない怒りを誰にともなく向けながら、コジローは空を仰ぐ叔父を見遣った。手を振って呼びかけて、自分の存在に気づいてほしかったが。そう思って挙げかけた手は、肩の高さまで来てそれ以上挙げられることはなかった。
空を見上げていたのが、孤独と寂寥感をまとったシンタローだったからだ。叔父のそんな姿を見るのは、これが初めてではない。しかし、見るたびに心が締め付けられるような感覚に襲われる。回数を重ねる毎に、締め付けられる度合いも大きくなっていく。
時折遠い目をするシンタロー。そんなシンタローを見るたび、どこか遣りきれない気持ちになる。焦りが頭を擡[もた]げてくる。自分では、シンタローの一番側にいるのは自分だと思っている。もちろんそれは願望が80%を占めている自負心なのだが。その自分が知らない、シンタローのその表情。そんな表情をさせている原因が何なのか、自分には皆目見当が付かない。
車が停まってクラクションが鳴って。そうしてコジローは我に返った。両車線を走っていた車が、コジローのために停まっていたのだ。どうやら挙げかけていた手が、これから渡るので道を空けてください、という自己主張にとられたようだ。今時、横断歩道を渡るのに手を挙げる小学生もいないぞ、とらしくなく赤くなりながら、コジローは道を渡った。恥かしさのあまり俯いていた顔をあげると、くすりと笑んだシンタローと目があった。
「すごい登場の仕方だったな。驚いたぞ」
「無茶して渡って轢かれるよりマシじゃん」
恥かしさを紛らわすように、頬を思いっきり膨らませながら、コジローは乱暴に助手席に乗り込んだ。そんなコジローの様子さえも可笑しいのか、いつになくシンタローはくつくつと笑いを止めようとしない。
「シンタローさん!いいかげんにしてよ」
「いや、悪い。反抗期のように思えてたが、結構素直なところもあるんだなってな」
エンジンをかけ、車の流れが途切れるのを見守る間も、シンタローは笑いを堪えていて。コジローはおもしろくなくて、ふいっと外の景色に目を遣った。間をおくことなく、シンタローの運転する車は流れる車の列に入り込み、スピードを上げ、車線を変更しながら何台も追い越していく。決して危険な運転ではなく、卓越した運転技術のなせる業だ。その運転技術の裏で、実戦で使われるような様々な感覚が駆使されていることをコジローは知っていた。
風を受けながら、コジローはシンタローの方を窺い見た。先程の、遠い目をした、自分の知らないシンタローはそこにはいない。いつものシンタローと変わりなくて、違うところといえばいつもより機嫌がよさそうというところくらいだ。もっとも、その機嫌のよさというのも、ほんの少し前のコジローの行動を見たからこそ、なのかもしれないが。
――そんなことでいつものシンタローさんに戻らなくたっていいじゃないか。
再び物凄い勢いで通り過ぎていく景色に目を遣る。肘をついて眺めていると、自然と溜息もでてくる。見慣れている風景で、つまらないということはない。どんな環境でもシンタローと一緒にいさえすれば、たちまち新境地に思えてしまうコジローだから。
しかし。ここまでシンタローに依存しているからこそ、シンタローの言動何もかもが気になってしまう。一緒にいて安心できるとか、そんな月並みな想いをシンタローに対して持っているわけだが、安心できると同時に不安が身を焦がす。
ふてくされて、そんなことでいつものシンタローさんに戻らなくたってと思っても、そんなことで戻ってくれるのならコジローは何だってするだろう。それほど、自分の知らないシンタローを見るのが怖かった。これから知ればいいのだという楽観的な気持ちにはなれない。知ればきっと、同時に恐ろしいものも知ることになるだろうから。他の事ではそうならなくとも、シンタローに関する事だけは臆病にならざるを得なかった。失いたく、なかったから。
あの目の意味するところは何なのだろう。それを知るのは怖いと思いつつも、それでも考えてしまう。知りたくないと耳を塞いで、失いたくないと駄々をこねて、それで今は自分の心は守れるかもしれない。けれど、結局それが原因で失ってしまうかもしれない、後悔するかもしれない。そんな予感めいたものがするのもまた事実だった。
またひとつ、溜息が零れた。
「嫌なら無理にとは言わないぞ」
上機嫌な様子を見せていたシンタローが、それこそいつも通りの彼の様子に戻っていて。真一文字に結ばれた唇が、その表情をどこか憂いを帯びたものに見せていた。
「嫌だったら初めからやってないよ。身体鍛えるの、楽しいし」
これからトレーニングジムへ向かうことに憂鬱になっているのか、そう問われていることに気づいてコジローは首を振った。まさかそんなはずはない。コジローは、自分たち一族が過去どんな家業を営んでいたか知らないわけではないし、そのために彼らがどんな少年時代を歩んできたかも知っている。だから自分も同じ道を歩まなければならないとは思っていないが、それでも身体を鍛えたり戦う術を身につけたりすることは嫌ではなかった。何よりその成果を、シンタロー自ら相手になって確かめてくれるのが嬉しかった。
「――オマエ、これからの進路とか、考えているか?」
「なに、突然」
いきなり話の方向を変えられた気がして、コジローはシンタローの顔をまじまじと見つめた。
「大学に行きたいとか、何かしら仕事に就くとか。そういうのあるだろう」
「ん〜……」
現在、高校に通ってはいるが、何か明確な目標があって勉強に取り組んでいるわけではなかった。正直なところ、コジローにとっては、今後シンタローと一緒にいられるのか、それだけが問題だった。特にこれといった将来の展望があるわけではない。それさえ叶うのならば、あとはどうなろうと関係なかった。
言葉を濁していると、シンタローは「急いでいないのなら」と話を切り出した。
「1度、きちんと戦い方を教えてやってもいい。半年ほど、学校には休学届けを出して」
「ほんと!?」
シンタローがいなくて退屈に感じていた学校を休んで、しかもシンタローに戦い方を教えてもらえるなんて。思わずコジローは身を乗り出していた。
「秘石眼のコントロールにしても、きちんと教わったわけではないだろう?制御することはあの人から教わったかもしれないが、それを実戦で使うなんてことはしたことないだろ」
「うん。おじいちゃん、もう平和になったんだから絶対に使うなって言ってたし」
「誰もいないところで、俺が相手なら構わないだろう。両方の側面を知っておいて初めて、きちんと制御もできるだろうからな」
誰もいないところで、ふたりっきりで、つきっきりで……自分の願望に忠実に、シンタローの言葉が三段活用されていくうちに、先程までの後ろ暗い思考はどこかへ飛んでいってしまって。コジローは、半年ほどの修行に胸を膨らませた。
「俺もオマエくらいの時に修行をつけてもらったからな。丁度いい頃合だろ」
「シンタローさんも?」
「ああ。俺も叔父さんにな。あれは辛い修行だったな……ってことで、やめるなら今のうちだぞ。叔父さん以上に厳しくやるつもりだから」
「えー?!シンタローさんが音をあげたのよりも厳しくって、ソレ八つ当たりじゃん。シンタローさんが叔父さんに厳しくされたことに対する」
「誰が音をあげたって言った。それにこれは八つ当たりじゃない。俺は叔父さんに感謝こそすれ、恨んだことはないからな」
「――その叔父さんって、ずっとキレイだった人だよね。前言ってた」
「そう、俺の憧れの人」
近い未来に必ず訪れるだろう幸福な時間に思いを馳せていたコジローは、一気に現実に引き戻された。
まっすぐ前を見て運転しながら、表情を少しも変えることなく、シンタローは言う。しかし、コジローは心にもやもやしたものを感じていた。先程、校門で感じたものよりももっと酷い。どす黒く、醜いもの。それが嫉妬という名のつくものだと、コジローは気づいている。
「――シンタローさんだって、俺の憧れなんだからね」
ここにはいない、シンタローの叔父への宣戦布告と、その叔父の姿を思い浮かべているだろうシンタローへの告白。真顔で、シンタローの横顔に告げたが、一体どこまで伝わっているだろう。
シンタローの表情が、哀切なものに変わった。
「でも、俺のようにはなるなよ――」
遠くを見るような、あの目で。シンタローはぽつりと呟いた。
しかし。その言葉は、風に攫われて、コジローには届かなかった。まるで、まだそのことを告げるのは早いと、目に見えない何かが邪魔したかのように。
ここで書きたかったのは、孫がサービスに嫉妬するところ、ですかね。
シンタローさんが、かつての自分とサービスの姿を孫と自分に重ね合わせる、というのも書くはずだったんですが、いつの間にか忘れてました(笑)