text : PAPUWA the parallelos

[ past engagement ]


「ねぇ、シンタローさん」
 叔父の家を訪ねたコジローは、キッチンで手際よくジャガイモを剥く家主に声をかけた。
「なんだ?」
 もうまもなく初夏を迎える時期ではあるが、異常気象が春の空に真夏を連れてきていた。こんな暑い日こそ、バテ気味な身体に喝を入れるために辛いものを。ということで、コジローの叔父シンタローは激辛カレーを作っている最中なのだった。
 コジローはシンタローが作るものなら何だって大好きだった。冬場の冷えた身体で食べた特製味噌煮込みうどんの味は一生忘れられないと思うし、誕生日に作ってくれた高級レストランのシェフさえ舌を巻くようなケーキの数々は本当に食べるのが勿体無かった。
 今シンタローが作っているのはごくありふれた家庭料理、カレーだ。初歩的な料理だが、それは市販のルーを使ってこそ簡単な料理に思われがちなだけで。シンタローは何から何まで1から手作りで作るのだった。
 手間暇かけられて、愛情もたくさん注がれて。そんなカレーを食べられるなんて、それだけでコジローは嬉しいのに。遊びに来た自分の我侭で作ってくれたという要素が加われば、それはもう天にも昇る思いだ。
 何度も手伝おうと頃合を見計らっていたのだけれど、その手際のよさに逆に邪魔になるのではないかと声をかけられずにいた。やっと声をかけることができても、シンタローは声だけをこちらに向けて、身体はずっとカレー作りに没頭している。
「あのさ……シンタローさん……」
 何か手伝うことないかな、とはなかなか言えず、コジローは口籠ってしまう。
「シンタローさん、ホント料理上手だよね」
 ほんの数瞬だっただろうが、それでも沈黙は気まずくて。コジローはとりとめもないことを訊いてしまう。
「そりゃなあ。独り身がこんだけ続きゃ、料理も巧くなるさ。それに、料理は昔から嫌いじゃねぇんだ」
 独り身。シンタローは何の考えもなく呟いた言葉だろうが、その言葉はコジローの胸に妙なしこりを残していた。
「――シンタローさん、結婚しないの?」
 言ってしまってから、自分で傷ついてしまった。まるで、シンタローの結婚を望んでいるようなセリフ。本当は、誰のものにもなって欲しくないのに。
 いや、シンタローの幸せのことを考えれば、普通に、どこかの器量のいい綺麗な女性と結婚した方がいいのだろうとは思う。シンタローのこの人柄と容姿なら、誰もイヤとは言わないはずだ。
 今も独り身を続けているというシンタロー、その独り身の生活が幸せなものでないのなら、きちんと結婚して家庭を持って、幸せになって欲しいと、切に思う。たとえそれが、自分の望む未来でないとしても。
 悶々とそんなことを考えていると、くすりと忍び笑う声が聞こえた。
「シンタローさん、ソコ、笑うところじゃないと思うよ?」
 ソファの背もたれにだらしなく首を乗せながら、コジローはキッチンのシンタローをねめつける。しかしこちらに背を向けているシンタローはコジローのそんな視線など意に介さない。戦闘のプロフェッショナルであるシンタローなら、コジローのその視線には気づいているはずなのに。
「いや、久しぶりだったからな。そのセリフ聞いたの」
「そのセリフ……って、結婚しないの、っていうの?」
「そう。もう久しく聞いてない。一時期、本当に耳にタコができるかと思うくらいしつこく言われた時期もあったが。言う方もいい加減諦めたらしくてな」
 困ったように、呆れたように。らしくなく深い溜息をつくシンタローに、コジローは笑うことができた。冗談めいたシンタローのセリフに、気分も上昇してくる。
「そんな昔話みたいに言ってるけど、まだまだ現在進行形のことなんじゃないの? シンタローさん、まだ……30代?でしょ?」
「ん?……あぁ、そう……だったな。まだ言われ続けててもおかしくないか」
「……シンタローさん?」
 シンタローが冗談めいた口調だったからこそ、自分も冗談めかして言うことができたのに。シンタローの返答は、どこか後ろ暗いものを感じられて。コジローは急に不安になる。
「いや、気にするな。……結婚しないのか、って質問だったな。――俺は結婚するつもりはない。一生、な」
 じっと視線を注いでいると、明るい声が返ってきた。けれど、それが意図された明るい声だということに、コジローは気づいていた。コジローを励ますためにわざと明るい調子で言ったのかもしれないと思うと、余計申し訳なくなる。
「一生って……どうして言い切れるの? シンタローさんなら、相手なんか選り取りみどりだと思うんだけど」
 本当に、これは素朴な疑問だった。自分の感情がどう関係したわけでもなく。自分がこれだけシンタローのことが好きだから、他にも誰かシンタローを好きでも不思議はない。もちろん、そう易々と渡すつもりはないが。
 しかし、シンタローがその気なら話は別だ。一応張り合うつもりはあるが、最後はシンタローの意思を尊重したいから。
 だが。結婚するつもりはないというその言葉は、誰も好きにならないということと同義に聞こえた。
 同義に聞こえたと理解して、そうしてコジローはまた傷ついた。同性だから、結婚の対象として見られていないのは納得できる。しかし、好きになってもらえないのかと思うと胸が苦しくなる。
 そんなふうに落ち込んでいると、またシンタローが笑う声が聞こえた。
「だから、どうしてそこで笑うの?」
 こっちはショック受けてるっていうのに。毎度のことのように、コジローはぷくーっと頬を膨らませる。この顔のせいでシンタローがコジローのことを子ども扱いするのは知っていたが、それで場が和むのならそれでいいと思っている。子どもを演じることで、まだまだシンタローは自分に構ってくれると、そうして自分の気持ちも上昇するとわかっているから。
「また聞いたことのあるセリフだな、と思ってな。ま、今度は俺自身が昔言った言葉だが」
「誰に? 同じシチュエーションなら……『美貌の叔父さま』?」
「あ、いや。叔父さんにじゃないよ。俺の……イトコに、だよ」
 そう呟く背中は、コジローが今まで一度も見たことがない背中だった。寂寥と孤独を背負い、コジローにさえも拒絶を示しているような。包丁を使う音だけが、やけに空間に響いた。
 触れてはいけないことだったのだろうか。罪悪感に胸がずきりと痛む。重たい空気。こんなところに、居たくない。
「シンタローさん。俺、手伝うよ。何かやることない?」
 努めて明るく、コジローはシンタローの背中に呼びかけた。コジローの声に、意識の深みに嵌っていたらしいシンタローは顔を上げた。振り返ったシンタローはやわらかい笑みを浮かべていて、コジローは胸を撫で下ろした。シンタローの沈んだ顔なんて、想像でも見たくなかった。
「玉ネギでも切ってもらうか」
「えー!? 玉ネギ入れんのー!?」
「……オマエ、いくつだ。カレーに玉ネギは付き物だろが。絶対に入れる」
「でもー!」
「好きな大きさに切っていい。せめてもの妥協案だ」
 いつものシンタローだ。嫌々を装いつつも、コジローは口元が緩んでしまうのを自覚していた。実際、玉ネギは嫌いだったが、それは昔のことだ。今では好きとまではいかないが、食べられないことはない。これも昔からシンタローが様々な料理を作ってくれたおかげだった。
 子どものフリをしていれば、シンタローも少しは甘やかしてくれる。子ども扱いされるのは癪だし、シンタローだって子どもだからといって甘やかすような男ではないということもコジローはわかっている。コジローがわざとそう振舞っていると知っているから、シンタローもそれに乗って甘やかしてくれるのだ。それがわかって、何度もこうして子どものフリをする。場を、明るくするために。
 玉ネギの刺激臭に涙を溜めて、目が痛いと言ってシンタローを困らせる。男がそれくらいでピーピー泣くなと、シンタローは笑って言う。すっかり戻った日常の風景の中で、コジローは先程のシンタローの背中の意味を考える。考えれば、そしてその意味を知れば、決して今のこの日常に戻れないだろうということは解かっているのに、それでも知りたいと思ってしまう。シンタローの全てを知りたいと思うほど、シンタローのことが好きだから。
 ――どうして結婚しないなんて言うんだろう。前に辛い恋をしたから、とか?
 ぽつりと心に浮かんだ問いを、コジローは目を瞑って振り払った。自分と同じ年頃だった頃のシンタローを知るわけではないけれど。同じ人間なんだから、恋をしていたっておかしくはないと思うけれど。それでも、自分以外の誰かを思っているシンタローを考えるだけで、どうにかなってしまいそうだった。
 コジローの知るシンタローは、コジローだけを想っていてくれているように思えたから。
(おじいちゃんなら知ってるかな)
 ジャガイモとニンジンを火にかけるシンタローを横目に見ながらコジローは思う。知りたいようで、知りたくない、シンタローの過去。自分の憧れる強さを持つシンタローが、それを手に入れるまでにどのような道を歩んできたのか。
 それを知って初めて、シンタローを好きでいる資格を手に入れられるのではないだろうか。
 誰とも結婚しないと言ったシンタローの言葉は、誰も好きにならないという意味に取れた。その資格を手に入れれば、自分のことだけは好きになってくれるのではないだろうか。
 シンタローが自分を好いてくれているのはわかる、けれど、それは自分の望む好きではないような気がして。現状で、満足できない。もっともっと好かれたい。
 誰も好きにならないというシンタローの決心が、過去の誰かとの哀恋故ならば、その誰かへの想いを乗り越えて、自分を好いてほしいと思う。自分にとってシンタローが一番であるように、シンタローにとって自分が一番であってほしいと思う。
 ――こう思うのって、別に変じゃないよね
 今この瞬間のシンタローを見ているのが自分だけであるように、これからもこうしてシンタローを見ることができるのが自分だけであればいいのにと、コジローは切に願った。



気を抜くと、孫がいくつだか忘れてしまいます。
えぇ、分かってて書いてるつもりです。彼は高校生くらいだってことは。
でもねぇ…(遠い目)