text : PAPUWA the parallelos

[ 誰よりも愛しい、近しい人へ ]


 その部屋は白に統一されていた。窓から見える空の蒼を強調するためだと、関係者の殆どは知っている。今、人払いをしてここを訪れているシンタローとて例外ではなかった。
 シンタローはここを訪れる時間を、それは大切にしていた。訪問した時には、必ず2人きりで話す時間を持ち。そして訪問するたびに、身体にいい料理を手土産に持ってくる。事情を知らない者は、たとえ引退したとはいえそこまで総監に信頼を寄せるとはと感心し。事情を知る者は、総監に向ける愛情の深さに胸を痛めずにいられなかった。
 そう、シンタローにとって、この部屋で養生している元・世界政府総監は、特別な存在なのだ。たとえ外見上は祖父と孫くらいに年が離れているとはいえ、シンタローにとって元・総監コタローは、目に入れても痛くないほど可愛い弟なのだ。
 外見では明らかに年齢の差がおかしいこの兄弟。シンタローとコタローの間に、いや、とりわけシンタローに何があったのか、知る者は昔に比べて随分少なくなった。その殆どが、天命を全うし、安らかな眠りについているからだ。リアルタイムで事情を知っていた者が殆ど、寿命でこの世界を離れるほど、事の発端は昔に始まるのだ。
「コタロー……今何て」
 信じられないといった目で向けられる視線を、コタローは全く動じずに受け止めていた。いつかそう告げなければならないと覚悟していたから、それは想像の範疇だった。
「兄さんだけ、行ってくれと――そう言ったんだ」
 この日、シンタローがコタローに齎した報せは、朗報と言うべきものだった。かねてから開発していた移動装置が漸く形になったというのだから。次元を越え、この世界から離れていったあの島へ行くことができる。シンタローと、コタローが、待ち望んでいたものなのだから。
 それなのに。そう告げたシンタローを、コタローは冷たく突き放したのだ。
「……一緒に行くって約束だっただろ。そう持ちかけてきたのはコタローだぞ」
 シンタローがそれだけやっと搾り出すと、コタローは目を伏せた。シンタローは納得できないといった顔で、悔しそうで。いくら想像の範疇だと言っても、そんな貌のシンタローを見るのは胸が痛んだ。
「あの時は、そう言うしかできなかった。キンタローの死でまいってた兄さんを、この世に繋ぎとめておくには……」
 シンタローの目は、そこまで憔悴していたつもりなどないと告げている。しかし当時のシンタローは、気負って、平気な振りをしてみせて、それがかえってコタローにはそのように映っていたのだ。
「――オマエは、あの島に行きたくなかったってのか」
「それは違う。あの時は本心から、私ももう1度あの島へ行きたいと思っていた。けれど、あの島はもう私の知る島じゃないと思うと怖くなる。パプワくんはもういないかもしれない。私が知っているリキッドはまだあの島にいるだろうけれど、私はもうあの時の私ではない。リキッドはもう、私がわからない」
「いくら不老だからって、変わらないわけはないだろう。リキッドだって、コタローの知るヤツから大分変わってるさ」
「変わってない」
「何を根拠に」
「兄さんが、変わっていない」
 ジャンもドクターも変わっていない そう零すコタローに、シンタローが溜息をつく。2人でいるときくらいはそんな他人行儀な口の利き方はやめろと言っただろう、と顔を歪ませた。
「コタローの言う通り、リキッドも変わってない、で構わない。だが、変わってる変わってないがオマエの中ではそんなに重要なことなのか? 変わっていようと変わっていまいと、オマエがコタローであることにも、俺がシンタローであることにも変わりはないだろう。70年経とうが、1000年経とうが、な。オマエの知るリキッドは、そんなことを気にするような人間だったか? そんな人間じゃないから、オマエはアイツを認めているんだろう」
「そう、だね」
「どんなオマエでも、受け入れてくれるさ」
 だから一緒に行こう そう笑いかけてくるシンタローに、コタローは逆に哀しげな笑みを浮かべた。
「――そんなリキッドだからこそ、お兄ちゃんは忘れられないんだよね」
「……コタロー?」
「なんだか久しぶりだなぁ。こんな口調使うなんて。2人きりの時じゃなきゃ、こんな風に喋れないんだからなぁ」
「何言ってんだよ。2人きりの時間を増やせばいいだけのことじゃないか。これからはいくらでも――」
 消え行くような声に、慌てたように、無理にでも場を明るくするような口調で言う。そんな努力をする必要はないというように、コタローはかぶりを振った。
「これから、は無いよ。兄さんは、1人であの島へ行くんだから」
「だから! なんでなんだよ!?」
「兄さんは、私を変わっていないと言ってくれた。嬉しかった――けれど、肉体は、確実に変わっている。彼らに老いた自分を見せたくないという気持ちが……ないことはないけれど。何より、パプワ島へ行くのに身体がもたないんだよ。もう」
「…………」
「私はこのままで満足している。兄さんと、ここまで生きてきたのだから。今の私の願いは、兄さん、貴方の中で永遠に生きていくことだ」
「コタロー? 何を言って……」
「もう何年もしないうちに、私は天寿を全うするだろう。その前に、兄さん、貴方だけでもあの島へ旅立ってほしい。私の最期を看取るなんてことはしないで。永遠に貴方の中では生きているということにしておいてほしい」
「オマエを忘れるなんてこと、俺はしない。当たり前だろう」
「違うよ。私の最後の我儘だ。キンタローと同じような存在で兄さんの中に残りたくない。私の死の瞬間を、兄さんの中に遺したくないんだ」
 キンタローには、最後まで勝てなかった。何もかも率なくこなして、人望も厚くて。あと数年生きていれば、世界の何もかもを手に入れられていたのではないか。世界の頂点に君臨するだろうシンタローの心をその手にすることによって。その様を現実に目にすることができなかったから、いつまでも恐怖に怯えていなければならなかった。その影を追っていなければならなかった。キンタローは、シンタローの中に深い傷痕を遺して逝ったけれど、コタローの中にも爪痕を遺していくことを忘れなかった。シンタローに、24年の歳月を償わせることを不可能にしたと同時に、コタローが彼に勝つことも不可能にしたのだ。シンタローの心を手に入れることによって得られる勝利を、闘う機会すらコタローに与えず、掻っ攫っていった。
「最期くらい、キンタローに勝ちたいんだ。だから――」
 コタローは、心の中で涙を零した。心の中でだけでも思い切り流しておこうと思った。そうしなければ、現実の目からもあふれ出てしまいそうだった。これが最後だというのに、そんな顔をシンタローに見せるわけにはいかなかったから。笑って、見送りたかったから。
「――本気、なんだな」
 静かな、抑揚のない声だった。今まで聞いたことのない声だ。悲しみと絶望が入り混じったような。本来ならば、この声を聞いて胸を痛めるべきなのだろうが、コタローはどこか満ち足りた気持ちでいた。
 おそらく、キンタローが死んだ時にも同じような声で話していたのだろうけれど、シンタローはその声では自分の前で話さなかった。自分のことを慮ってのことだろうが、それが悔しかったのもまた事実だった。そこまで自分は守られていなければならない存在だったのか、弱さを見せられると認められた存在ではなかったのだと思い知らされた。
 今、このような声を聞かせてくれるのは、それだけ自分のことを想っていてくれたことの証のように思う。この先、自分はシンタローと生きていくことはできないけれど、最期の今、こうしてシンタローの中で大きな存在でいる自分を感じることができた。あとは、前を向いて進んでいくシンタローを見届けるだけ。それだけでもう、思い残すことはない。
 病床にありながらも力強く頷くコタローの意を確認して、シンタローは窓辺に歩み寄った。否応にも受け入れなければならない情報に混乱した頭でも、空の蒼、海の青の美しさは理解できるのだろうか、シンタローの顔は随分と安らいで見えた。
「けれど、今回が最後だとは言わせない。旅立つ日に、必ずもう1度会いに来る。だから、その日までは絶対に死ぬなよ」
「わかった。――ありがとう」
 最後の最後まで我儘を言ったことに、それを聞き届けてくれたことに。別れをこちらから切り出しておきながら、それでも会いたいと思っていた本心を汲んでくれたように、また会いに来てくれると言ってくれたことに。
 誰よりも愛しい、近しい人へ。コタローは心から感謝の意を述べた。
 礼を言われるようなことじゃないと、シンタローはそれ以上コタローが気に留めないように屈託なく笑う。昔からコタローだけに見せてきた、甘い笑みを。
 終わりが迫っているのなら悔いが残らないようにと、それから2人は時の許す限り語り合った。日が暮れるのも気づかずに。誰にも干渉されることなく。

 だから気づかなかった。それらの会話を聞いていた者がいたことに。その者が、驚愕に打ち震えながらその場を離れたことに――



一応、このコタローはもうおじいちゃんな年齢なんですが。その場面をどうしても想像できない。困ったものです。
これからしばらく連載っぽく続いて…いく予定です、が、次は一体いつになるやら?(ぅおいっ!!)

原作が進んで、今の技術でも空間を超えることは可能になってますよね。
どう誤魔化そう…(笑)