text : PAPUWA the parallelos
[ 然るべき場所へ #1 散りゆく華 ]
差し出されたのは、ひとつのカプセルだった。
――以前私が服用したものを改良して作ったものです
差し出したのは、黒髪の男。不規則な生活を強いられる研究の日々に身を投じているというのに、会う姿はいつも完璧に整えられていて。妖しげな笑みを浮かべながら言った。
――飲む飲まないは自由です。趣味で改良したようなものですから
受け取った男は、カプセルを凝視する。その様に、カプセルを差し出してきた男は目を眇めた。
――実験体は欲しいところですが……アナタは進んで身を差し出すような真似をせずともよいのですよ
そう言って、男は去っていった。
シンタローは未だカプセルから視線を外せないでいる男に目を遣った。感情の読み取れない表情なのはいつものこと、しかし、シンタローにならその変化は読み取れるはずだった。なのに、今回だけはシンタロー自身の心がざわめいて、彼の心を読み取ることはできなかった。
――試作品って言ってただろ。ドクターが飲んだのは、生存率20%の時だって聞いた。あれからそんなに時間は経ってないんだ。改良されたって言ってもたかが知れてる。もう少し……よく考えてくれ
シンタローは男の手からカプセルを掠め取った。その行為を咎めるように、男は「シンタロー」と彼の名を呼んだ。
――俺が預かっとく。それで、いいだろう?
男に背を向けたまま手を振って、シンタローは総帥室へと足を向けた。
そう、これでいいんだ。確かに一緒に生きていきたいと思う。けれど、自分は彼らとは違うのだから。彼が、自分が歩んでいる道にわざわざ踏み込んでくる必要は無いんだ。
普通の人生を蹴ってまで、自分と共に歩んでほしいとは思うけれど、それに見合うだけの魅力が自分にあると思えなかったから。
結局最後は彼の決断に委ねることになる。彼に甘えることになる。けれど、自分から希うことはできないのだ。それほどまでに、自分は普通ではなくなったのだから。
◇
「殺スっ!! アイツら、絶対ェ許さねェ!!!!」
最激戦地区N2−C。そこに臨むガンマ団前線基地は今、混乱を極めていた。
激戦地区間近ということで、敵からの攻撃を受けたのではない。原因は、1人の男の激昂にあった。滅多なことではビクともしないガンマ団の軍用艦が揺れている。ただでさえ緊急の事態に陥っている艦内に、さらなる緊張が走る。
「落ち着けシンタロー! 関係ない他の人たちまで巻き添えにするつもりか!?」
怒りに我を忘れ、全ての力を解放してしまう寸前のガンマ団総帥と相対しているのは、その総帥と同じ顔を持つ青年だった。
「放しやがれ! あんな……あんな卑怯な手ェ使うヤツらなんざ死んで当然なんだ!! 今すぐ殺してやる!!」
後ろから羽交い絞めにして、己が使うことのできる力全てを腕の中のシンタローに向ける。なんとか相殺させて、被害を最小にとどめなければ。ここで暴発してしまえば、それこそ全てが水の泡となってしまうから。
ジャンは一層、総帥を拘束する手に力を籠めた。
ジャンがこの前線基地に停泊する軍用艦を訪れたのは、ほんの2、3日前のことだった。前線に詰めて久しい総帥他諸団員を激励にやって来た……ということは全くない。ジャンが現在開発を進めている移動装置の稼働具合をその目で確かめにやってきたのだった。この移動装置の開発については、総帥であるシンタローから依頼されているものでもある。ジャンが描く、もっと壮大なスケールのものの開発のためにはまだまだ改良の余地はあったが、それでも戦場で用いられる分には十分な威力を発揮すると考えられていた。
最激戦地区であるN2−C、そこは同時に最後の戦場でもあった。シンタローを総帥とするガンマ団は、彼の総帥就任以降、平和活動へとそれまでの方針を転換させた。平和的解決による世界統合――それがシンタローの目指したものだった。
ガンマ団が内包する武力があったが故、それは真の平和的解決などではなく脅迫だ――そのような批判は内外から浴びせられた。シンタローもそれは否定しなかった。シンタロー自身が一番よく知っていることだからだ。総帥の息子としてこれまでのガンマ団を見、そして総帥として今のガンマ団を一番近くで見ているのが彼だから。わかっていないはずがなかった。
シンタローも、何も拒否する国・地域を無理矢理統合させようなどという考えは持っていなかった。武力による争いを放棄し、共に生きていくものとして共同体を作っていこうではないか――そのように提案していたのである。つまり、国際的な政治組織の設立である。
もともと武力によって世界に多大なる影響力を持っていたガンマ団である。総帥が代替わりしたといって、周辺諸国との関係が大きく変わることもなかった。今まで友好的な関係を保っていた地域とは、それまでの関係を維持しつつ、国際組織の設立への同意を得ることができた。ガンマ団が実質的に支配する形をとっていた地域にしても、ガンマ団が統治せざるを得なかった制圧当時の勢力(例えば独裁的右翼指導者とその一派など)が一掃されていることもあり、国際社会への復帰は意欲的だった。
問題は、今も昔も、変わらずガンマ団に反感を持っている地域だった。ガンマ団総帥として、シンタローは世界を征服するということに全く興味を持っていなかった。自分の提唱した組織に参加しないと言うのならば、その国の意思としてそれは尊重するつもりでいた。しかし、ガンマ団に反発する地域でこそ、放ってはおけない非人道的行為が行われているものなのだ。ガンマ団に反発しているからといって、その地域の住人全てが反発しているはずはないのである。反発しているのは支配層だけ。人口の大部分を占める被支配層は、上層部からの無言または有言の圧力によって、支配層への不満と、そこから救い出してくれるだろうガンマ団への支持を口にすることはできないでいるのだ。――これらは、現地に潜り込ませた諜報員からの情報である。外文化との接触を絶たれているそれら被支配層に、ガンマ団諸々外の事情を伝えるため、そして彼らの生活状況を把握し、今後の戦略に利用するためだった――
武力行使は極力抑える方針を採っていても、そこには限度というものがある。再三交渉を持ちかけても、それまでの方針を変えようとしない。諜報員からの情報を証拠として提出すれば捏造だと突っぱねる。果てはテロまがいのことまで仕掛けてくる始末。シンタローは気の長い方ではない。喧嘩を売られれば黙っていられる性質ではない。言っても聞かない馬鹿者には――お仕置きが必要だ。
そうして各地を制圧しつつ、着実に国際組織設立の基盤を築き上げていった。シンタローが総帥に就任して10年も経たないうちに、その勢力は地上の90%を占めるまでになった。残りの数%を占めるのが、最終激戦地区N2−Cだった。
戦況もいよいよ大詰めと言ったところだった。大小さまざまな島からなるN2−C、その中枢とも言えるD島を制圧するのみとなったのだ。
他の島からの物資は断ってあった。終結も近いと踏んだ頃、降伏しろという呼びかけに対してそれまで完全無視を決め込んでいた上層部が、初めて返事を返してきた。交渉がしたい、総帥自らD島へお越しいただけないだろうか、と。
今更交渉なんざ、都合が良すぎるんだよバーカ。時間切れだ、もう降伏するかしないか、イエスかノーの答えしか受け付けねーよ。
と、シンタローは思った。しかし、そんなシンタローの心理を読んだかのように、1人の男が交渉に名乗りを上げたのだった。
――たとえ罠だろうと、俺なら大丈夫だ。総帥代理としての務めはこれまで何度もこなしてきたからな。
くすりと笑んでそう言ったその男に、シンタローは眉根を顰めた。
――オマエが行くこたねーだろ。向こうの要求は俺だ。
――オマエが行く必要こそ無い。向こうには対等に話し合うだけの機会を十分に与えてきた。それに応じなかったヤツらが悪い。こちらが敬意を払う必要など無いということだ。
行ってくる その一言だけシンタローの背中に投げかけて、男はD島へと向かった。相変わらず淡々としてるなぁ――シンタローは男の背中を見送りながらそう思った。そんなことしか、考えなかった。まさか、それがシンタローが見た最後の姿になろうとは思いもしなかったから。
「何をしたか、アイツらにわからせねーといけねーんだッ! あんな、あんな――!!」
「シンタロー! 落ち着けって言っているだろう!!」
びりびりと、空気が震える。地響きは、間に横たわる海を越えて、D島にも伝わっているかもしれない。
シンタローの力は弱まることを知らないように思えた。感情が昂ぶるにつれて、ジャンさえも知り得なかった力を際限なく引き出していく。
大地がひび割れ、空が引き裂かれるかと思えるほどの衝撃。その中心に居る自分たち。たとえ無事にすまなくとも、世界が毀れることだけは防がなければ。毀れてしまえば、そこに残っている僅かな可能性さえも潰すことになるのだから。
――交渉は成功だ。基本的には向こうの全面降伏、という形だが。下々の、ただ動くしかできなかった者たちの命までは勘弁してくれと泣きついてきた。まぁ、人道的な指導者を演じ、自分に待ち受けるだろう運命が最悪の方向に転ぶのを免れたかったといったところだろう。
ヘリから無線で男が語りかけてきたのは数分前。ジャンがシンタローのいる司令室を訪れたのはその15分ほど前だった。
ジャンが前線基地で感じたのは、端々に満ちる達成感だった。この戦争が終われば、それまで目指していた世界政府設立も約束されたも同然だ。総帥の下、これまで尽力してきたガンマ団団員達にとっても、たとえ下っ端だとしても喜びは一入だったのだろう。
シンタローの表情もまた穏やかなものだった。疲労が色濃く現れていたが、それすらも気にならないほど喜色に満ちた表情だった。
ヘリじゃなくて俺が開発したアレで行けばよかったのに。そうすればもっと早く帰ってこれたと思うぜ? 時間はいくらあっても足りないんだろう? なんせ総帥とその補佐官殿は目前まで迫った世界政府設立に忙殺されることがもう決まってるんだからな。
ジャンがそうシンタローを茶化した、その時だった。
スピーカーから割れるような破壊音が司令室に響き渡ったのだ。
しばらく時が止まった。けたたましいノイズだけが、司令室を支配する。
弾かれたようにシンタローがマイクに噛り付いたのは、それから一体どのくらいの時が流れてからだったのだろうか。シンタローの動きに反応して、司令部に詰めていた団員達も緊張の中、事態の把握を急いだ。
何度も何度も呼びかけるシンタロー。しかし無線は相変わらずノイズのみを伝えている。期待する声が聞こえることはない。
モニターに前線の海域が表示される。黒煙を立ち上らせた機械の残骸が、一部だけだが画面の中で揺れていた。
顔の造作が同じでも、果たして自分はここまで驚愕に満ちた表情をできるだろうかと、ジャンもまた信じられない面持ちでシンタローの横顔を見た。瞬きもせずに、その画面を凝視していたシンタローは、しかし次の瞬間にはジャンの視界から姿を消していた。
ジャンは慌ててその後を追った。背後では救助隊出動の命令と、さらなる詳しい状況把握が叫ばれていた。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。目の前を走っている男が、これから何をしでかそうとしているか、手に取るように分かっていたからだ。
我を忘れているあの男の全力疾走に追いつけるか甚だ疑問だったが、それでも追いついて止めなければならなかった。
秘石眼を持たなくとも、シンタローは眼魔砲を操ることができる。かつての自分の身体に秘められている番人としての力もジャンは知っている。それが解放されれば、一体どうなるか。シンタロー自身の命さえ危うい。永遠の時間がどこまでも続いているといっても、器はすでに創造主の手を離れているのだから。
シンタローはハッチを目指していた。そこからはD島を目で確認できる。目で確認できるということは、攻撃目標とすることができる、ということだった。
ジャンがハッチに辿り着いた時、すでにシンタローの呼気は乱れてはいなかった。昏い双眸で、2つの蒼に挟まれたD島を見据えていた。
D島とこの基地の間の空には、黒い煙の名残のようなものが見てとれた。しかしそれだけで、他には何の異変も起こっていない、ただただ平和な景色だった。
ウソだと思いたかった。想像したことが本当に起こったなんて、考えたくもなかった。しかし、戦いの中に身を置いてきたジャンには、目の前に広がる海域に、ガンマ団のヘリの残骸を確認することができたのだ。
ジャンに可能ならば、シンタローにも可能なはずだった。
目が眇められた。静かに、しかし確実に、シンタローを包む空気が鋭くなっていく。
マズイ、と思っていたら間に合わなかっただろう。ジャンは反射的にシンタローの身体を後ろから拘束していた。触れるだけで何かが弾けた。力と力がぶつかり合った。
シンタローは身を捩ってジャンの手から逃れようとする。力の全てを解放しようと、己を縛り付ける力を払いのけようとする。シンタローの必死の抵抗に、ジャンも死に物狂いでその身体にしがみついた。
「放せッ!! ブッ殺してやるんだ!!」
「放すワケねェだろ!! 自分が何をしようとしているか、よく考えろ!!」
「考えるまでもねェ!! アイツらは、アイツらは――!!」
ヘリは爆破された。事故ではなく、明らかに人為的なものだった。それがどの者の手によるのかも、改めて調査する必要は無かった。D島残存勢力が、自滅ともとりかねない攻撃を仕掛けてきたのだ。
だが、ガンマ団が優勢であることに変わりはなかった。数日も経たないうちに、N2−C地区は完全に制圧された。
シンタローの力が解放されることはなかった。荒ぶったあの瞬間は、たまたま居合わせたジャンによって未遂に終わった。その後も、ある意味ではシンタローは落ち着いていたのだろう。眼魔砲で攻撃すれば、確かにものの1日で残存勢力は殲滅されていただろう、しかし、その力を使うことはなかった。
落ち着いていたからこそ、そこまで冷徹になれたのだろう。本拠地に乗り込んだシンタローは、指導者とその一派に自決する暇も権利も与えなかった。一瞬の苦しみだけで地獄に送るなどという生易しい考えは、シンタローの頭の中には微塵も無かったのだ。後に内外から批判されようとも、彼の怒りはそれだけで収まらなかった。甚振って、甚振りまくって。死んだ方がマシだと思える生き地獄を味あわせ。そして、シンタロー自ら、その手を下した。
残存勢力の手が事故海域に及ばなくなったのと同時に捜索は開始された。最新技術を兼ね備えたガンマ団の海上部隊が出動し、その海域は隈なく捜索された。しかし、予想されていたよりも爆発の規模は大きかったらしい。ヘリの残骸は見つけられても、肝心の人物の影は、たとえ遺体の影であっても見つけることはできなかった。
世界情勢は、シンタローをその海に繋ぎとめておくことを許さなかった。すぐさまガンマ団本部に各国の代表が招集され、世界政府設立に向けての会談が開催された。それまでの活動を先頭で率いてきたシンタローが出席しないわけにはいかなかった。
会談は順調に進んでいく。その合間を縫っては、シンタローはあの海域に足を運んだ。シンタローのその熱意と、消えた男を慕う者たちが後を絶たないことから、通常なら打ち切りになるだろう段階になっても、捜索が打ち切られることはなかった。
基本理念が固まり、不透明だった組織形態も形を見せ始めていた。事後処理に追われながらも、シンタローは捜すことを諦めない。これまでも執務の合間を縫って探し物をしていたが、今はその比ではなかった。
今のシンタローにとって、その存在の有無が、彼自身の存在意義を左右していたのだ。
◇
数ヵ月後、世界政府の樹立が全世界に宣言された。
世界の誰もが、その元首である世界政府総監には、世界政府の樹立を先頭に立って主張してきたガンマ団総帥が就くものだと思っていた。だから、その就任の儀の際、市民の前に姿を現した青年に目を瞠った。
未だ少年だと言っても通じるような、あまりにも若い金髪の青年だった。だからといって、不満の声を上げる者は少なかった。あの場に立っている以上、各国代表がその長に選んだ者だ。その見据えるような瞳は、未来さえも見通しているようで。彼が内に秘めているだろう強い意志を、誰もが汲み取っていたから。
あの少年が総監の座に着くことを認めるとして、しかしガンマ団総帥はどうしたのだ? 人々の心の中にはその疑問が渦巻いていた。
その他世界政府を担う役職の中にも、ガンマ団の総帥の名を見つけることはできなかった。それどころか、世界政府が樹立されたのと同時にガンマ団は解散された。初代総監がガンマ団出身であること、ガンマ団に所属していた者の多くが世界政府直轄下平和維持部隊に配属されるということから、事実上の活動は以前と大差ないと思われる。しかし、ガンマ団総帥という人間が消えたということは事実だった。
ガンマ団総帥シンタローは、文字通りどこからも消えてしまったのだ。彼に関する記録は世界から抹消されていた。それがシンタロー本人の願いであると知っている者は、世界政府上層部のほんの一部の人間だけだった。
シンタローは世界から消えた。
彼が最も信をおいていた人物、キンタローがこの世界から消えたように。
オリジナル設定満載です。
世界政府、か……一体どんな組織なんでしょうね(てきとー)
最終激戦区NC−2がどうとか言ってますが、これもてきとーです。
執筆中、心戦組の存在はすっっっかり忘れてたので(酷ェ)、ガンマ団が世界を統一(?)するまでに心戦組とどんなやりとり(戦い?)が繰り広げられたかは、それは皆さんで想像してお楽しみくださいませ。