text : PAPUWA the parallelos

[ 然るべき場所へ #2 水杯を交わす日まで ]


 ――まさか、本気とは思っていませんでしたからね。
 その男とジャンは同期で、士官学校生時代から何かとつるむ機会は多かった。
 ――あの時、科学者を愚弄していると言ったのは、私の外に、そんなことができる人物に思い当たらなかったからですよ。
 半分冗談、半分本気で取り組み始めたその研究に、驚いたことに高松も協力を表明した。コタローの昏睡の原因を探るという、重大な任務が与えられているにもかかわらず、合間を縫ってはデータの収集に協力してくれたり、組み立てた理論の精度を高めるべく議論を交し合ったりした。
 どうしてそこまでする? 訊ねたジャンに、高松は学生時代と変わらない妖しい笑みを浮かべて言ったのだ。科学者として関心がありましたからね、と。本気だというなら付き合うのも悪くないかと思ったまでですよ、と。
 ――じゃあ、どうして被験体にまでなろうとする?
 強引な手法で完成に漕ぎ着けたクスリを前に、ジャンはさらに訊ねた。そのままの笑みで、高松もまた答える。
 ――言ったでしょう。私の外に、コレを完成させることのできる人物に思い当たらない。これで失敗なら、永遠に完成はありえない。それでいいじゃないですか。
 そうして、カプセルを水で喉の奥に流し込んだ。含みのある表情でジャンを見る。
 ――アナタも気づいているでしょう? こんなもの、存在しない方がいいということに。

 然るべき姿から逸脱させられた先に行き着くは悖徳。
 それに手を出すほど、彼はアナタに執着しているでしょうか?


                    ◇


 景色は、平和そのものだった。上空では風に流され雲が遠くへと去っていき、海はきらきらと太陽の光を反射させている。その空と海との間に、少しでも黒い靄が見えたなら、それはあの日の景色と全く変わらなかっただろう。
 小高い丘にジャンは来ていた。その丘に来ているはずのシンタローに会いに行くためだった。
 世界政府樹立まで、まだやるべきことは山ほどあるというのに。シンタローは時間を見つけてはこの場所に来ているという。ガンマ団本部とこの場所を往復するのには、ジャンが開発した最新式のジェットフライヤーを用いても半日かかる。事務処理の合間の息抜きにしては、時間が掛かりすぎる息抜きだった。
 ジャンはシンタローを訪ねてここまでやって来たが、然したる用があるわけではない。かといって、シンタローを慰めに行くわけでもない。ただ、気になっただけだ。あれほど信頼しあっていた相手が、あまりにも急に帰らぬ人になってしまった人間が、今どうしているのかということが。
 ジャンは現在、見た目の年齢こそ20代半ばだが、実際の年齢はそれを遥かに上回っている。正確な年齢など本人にも分からない。それほどジャンは永い時間を生きてきた。これからも、今まで以上の永さを生きていくだろうこともわかっている。終わりが分からない、つまり、ジャンの目の前には無限の時間が続いているのだ。
 今同じ時を生きている者たち全てが息絶えようとも、ジャンは生きていくことになる。必然的に、出会った人の数だけ別れが待っている。相手にとっては死の瞬間における一瞬の別れでも、ジャンにとってはいつまでも心に残る別れとなる。
 これまでそのような別離は何度も経験してきたけれど、その別離に悲しむより前に、ジャンには番人としての役目があった。それに没頭することで、自分には役目があると言い聞かせて、ジャンはそれらを乗り越えてきた。
 しかし、今ジャンにはその役目がない。何もかもから解き放たれている。別れの悲しみよりも優先するものが、今の自分にはないように思えていた。かつて無いほどの別離が、ジャンを待ち受けているというのに。
 いつやってくるか分からない、けれど確実にやって来るそれ。シンタローが経験したように、唐突に訪れるかもしれないし、じわじわと忍び足でやって来るかもしれない。その時自分はどうなるか、その参考までにシンタローに会っておきたかったのだ。
「捜索、打ち切られたらしいな」
 その丘には、たった1本、申し訳程度に木が立っている。それに背中を預けて、ぼんやりと海に視線を投げかけているシンタローにジャンは声をかけた。無感情な目が、ジャンに向けられる。無感情ではあったが、生気が感じられないわけではなくて、ジャンは密かに胸を撫で下ろしていた。
「俺がそう命じたんだ。尤も、縮小した、って言った方が正しいんだけどな」
「へぇ?」
「あとは俺がやると、そう言ったんだ。そうしたら、捜索隊の面々がさ、自分たちもまだ諦めていませんからとか言ってさ。非番の日に、個人の責任においてでも捜索は続けると言ったんだ。だから、公には打ち切り、実際は規模縮小」
 語るシンタローの口調は、落ち込んでいる風には聞こえなかった。落ち込んでいないはずは無いのに、表にそれを出そうとしない。そうするだけの強さは保っている。とりあえず安心か、とジャンは表情を緩めた。
「愛されてるな。お前も、キンタローも」
「俺はともかく、キンタローはな。アイツほどガンマ団に貢献した人材はいねぇし、団員たちも頼りにして、慕ってたからな」
「働き者との噂はコッチまで届いていたからな。だが、シンタロー。働き者だったキンタローがいないからこそ、余計にやらなきゃなんねぇコトは腐るほどあるんじゃないのか?」
 「キンタローがいない」ということが、今のシンタローにとって地雷であることは分かっている。しかし、これは避けられないこと、乗り越えなければならないことだ。シンタローの性格から言っても、変に遠まわしに訊ねるよりも、ストレートに言ったほうが無難だろうとジャンは判断していた。
 ふっ、とシンタローは笑った。
「こんなところまで来たと思えば、説教しに来たってか? 慰めの言葉でもかけてくれりゃあ、ヤル気だして戻ったかもしれねぇのになぁ」
「オマエが俺なんかの言葉を期待してたとは心外だな」
「ま、そのとーりだな。――話し合いや事務処理ならコタローがやってるよ。俺の代理で」
「それまた、どうして。オマエの性格からして、ココまできたからには自分でやらないと気がすまないんじゃないのか? キンタローがいないなら、余計……」
「いつまでも俺みたいなのが表舞台に居られないだろう? いくら『老けない』と評判の一族と言われても、無理の来る日が必ずやって来るから。そうなる前に――今が丁度いい退き際だろ?」
 これからの世界は、そこで生きるヤツらが作っていかなきゃならないんだ 巣立っていく雛を見守る親鳥のような、そんなやわらかな表情で、シンタローは再び海に目を遣った。
 昔は不思議な男だと思った。青の秘石から作り出された人格なのに、赤の一族の心を持っているこの男を。人々を惹きつけて止まないシンタローのその魅力は、今もなお失われてはいないと思う。けれど、どこか違うということにもジャンは気づいていた。夢と希望に満ちていたはずの心に、どこか冷めた気配を感じられる。諦めた気配はまだ感じられないけれど、それに近いものが現れはじめていないか。――やはり、あの男を失ったということが、それほどまでに影響しているということか。
 『老けない』と評判の一族――シンタローが指している人物を想い、ジャンは深く息をついた。シンタローの叔父であり、ジャンの親友であるあの男。恐ろしいまでの美貌と妖しさを兼ね備える男。必ずやって来る彼との別離、嫌でも感じてしまう時間の経過。決して外見に惹かれているという訳ではないけれど、それでも今の美しい姿のまま、氷の中にでも閉じ込めて永遠に繋ぎとめておきたいと思ってしまう。カラダだけでも、永遠に傍に――
 あまりの強欲さに自嘲せずにいられない。本気でそう思っているわけではないけれど、そこまで割り切れることができたらどんなに楽だろうとは思う。割り切って、今までに無いほどの押しの強さでそう彼に迫ったところで、彼の意思は変わらないだろうけれど。
 そういった点では、目の前のこの男が羨ましかった。シンタローを想っていたキンタローは、あのクスリを望んだという。結果から言えばそのようにはならなかったけれど、少なくともキンタローにはシンタローと一緒に生きていく意思があった。何もかもを捨て、シンタローだけを選ぶ気持ちが、キンタローにはあったのだから。
「後悔、してるか?」
 ジャンもまた、太陽の光を反射させている海を見つめながら訊ねた。何に、とはジャンは言わなかったが、シンタローも訊いてこなかった。
 してるさ、とだけシンタローは答えた。表情を変えることなく、ただ目の前の景色の、どこか一点を凝視しながら。その答えに、ジャンは細く息を吐く。
「たとえ高松のように細胞レベルでの老化が止まっていたとしても、それがイコール不死身というワケじゃないんだ。俺が復活できたのは、赤の秘石に身体を保存・修復されていたからだ。突然身体が頑丈になる訳でも、殺されても死なない訳でもない」
 あの瞬間、ヘリに乗っていた器が不老の特性を備えていたとして、あの爆発に耐えられたかどうか甚だ疑問だ。
 自分も、今度致命傷を負えばどうなるかわからない。そこにこの永遠の檻からの突破口が隠されているのだろうが、そこへ逃げることは許されない気がしていた。シンタローと同様に、ジャンもまたある目的のために新たな身体を望んだのだ。それが果たされた――あるいは、叶わないからといって、そこに付随している副作用を受け入れないわけにはいかないのだ。
 わかってる、けど―― シンタローはそう言葉を切って顔を身体に埋めた。理屈であっても受け入れられない。「もしかしたら」という可能性は、時と場合によっては残酷な苦悩を齎すものだ。
 強いと思っていた男も、ここまで弱くなってしまう。膝を抱え、顔を埋めるシンタローの、儚い輪郭を見るだけで息が苦しくなる。しかし、どこかで安心している自分がいることも事実だ。ここまで自分は堕ちることはないだろうという、哀しい安堵をジャンは感じていた。確かに待っている別離、しかし、それはもう約束された別離だから。拒絶の意思を示されたあの時、ある程度の喪失感はすでに体験していたから。
「失ってから悔いるなんて、莫迦みてぇだけど。でも、これがそもそもの、然るべき姿なんだよな」
 風に攫われてしまいそうな消えいく声に、ジャンは落としていた視線をシンタローに向けた。蹲る姿は、無理矢理にでもその言葉を受け入れようとしているように見えた。
 そのシンタローの姿に、ジャンは先刻の考えを改めた。この男だけは、その副作用から逃れることを許されていいのではないだろうか、と。
 この男は、これまでに十分すぎるほどの偉業を成し遂げてきた。1人の人間が一生をかけて行うべきことを、30年かそこらで完遂したに等しい。世間一般の人間が一生と呼ぶ時間を過ぎる頃には、その報いは十分に受けたことになるだろう。シンタローの言う『然るべき姿』は、シンタローにも齎されてよいのではないだろうか。
 同じ宿命を背負った身体、けれど、その質は全く違う。シンタローは差し迫った緊急事態のために、為すべきことがあったが故に、新たな身体を手に入れ復活した。しかしジャンは、そういった類のものからかけ離れたもののために新たな身体を望んだ。大切な人の側にいたいという、己の欲望のためだけに。もし救われるべき者がいるとしたら、シンタローを差し置いて選ばれる者はいないように思われた。
 それでも、とジャンは顔を上げたシンタローの横顔を見ながら思う。弱いと見えても、常人から見ればまだまだ強いその瞳。逃げることなく、齎されたものを拒むシンタローの姿が容易に想像できる。
 もういいと許されても、自分で納得できるまで、彼は檻に囚われながら生きていくのだろう。たとえ自分から幕を下ろすことになっても、それはまだ当分先のことのはず。それまでは自分も生きていける。シンタローが生きていることを支えにして、別離の悲しみにも耐えられる。
 シンタローを利用していることに、一抹の罪悪を感じる。しかし、シンタローが自分を利用しない以上、「支えあって」と表現できないのだから仕方ない。シンタローは、自分を利用するまでもなく生きていける強さを持っているのだから。
 近い将来、サービスとの別離が訪れるのと同様、シンタローとの別離も必ずやって来る。シンタローとの別離がサービスとのものと違うのは、その時期を自分次第で変えることができるということだ。確かにサービスとの別れの時期も、自分で決めることはできる。自分から離れていけばいいだけのことだ。しかし、ジャンにそれができるはずも無い。できるのならば、あのクスリを開発したりしなかっただろう。
 シンタローとの別離の場合、シンタローが彼自身を許してその命を終わらせる前に、自分の前から旅立つ手段を提供できる。自分から切り出すか、シンタローがその時期を決めるか。その違いは大きい。シンタローとの死の別離など体験したくない。かといって、自分で悲しみのまま離れることもしたくない。望むのは、旅立つシンタローを笑顔で見送ることだ。
「――ジェットフライヤーの調子はどうだ?」
 麓に2台並ぶ飛行機のうちの一方に目を遣る。まだ世界に1台しかないそれ。世界最速を誇っているそれは、ジャンが開発したものだ。シンタローから依頼されている時空をも越える移動装置、そして、自分の夢見る宇宙船を開発する過程で生まれたもの。
「おかげさまで、気兼ねなくここに来ることができているよ」
「そう、か。しかしな。俺がオマエにアレを提供したのは、世界政府樹立のためには時間がいくらあっても足りないだろうと判断したからだったんだがな」
「そこで厭味を言うか? 言っただろ、コタローが俺の代理でやってるって」
「だったらそれを手伝ってやったらどうだ?」
「――コタローが言うんだよ。世界の平和に関しては自分がやるから、パプワ島へ行く手段は俺に任せるって」
「手を出すなって言われたってか? 兄貴の威厳も何もないな」
「言っておくがな、俺への催促はオマエへの催促なんだぞ」
「わかってるさ。言われずとも、な」
 今、シンタローはパプワ島へ行くことを望んでいる。あの島で今も暮らしているはずの友人のもとへと、弟と共に訪れることを望んでいる。囚われた魂はそれに執着している。
 傲慢かもしれないが、それを成就させられるのは自分しかいないと思っている。すでに離れて久しいが、ジャンは赤の秘石により造られた。ジャンの中には、今も確かに赤の秘石の名残を感じることができる。それを手がかりに、あの島を捜す。そこへシンタローを送り出す。
 今最もジャンの中で明確な使命がこれだ。与えられた任務ではない、自分から望んで目指す未来だ。役目から解き放たれて、悲しみから目を背けるために没頭する役目がないなどと、どうしてそのような詮無いことを考えていたのだろう。ソレしか選ぶことができなかった役目より、自ら選んだ道の方が、より自分にとっては意味の大きいものではないだろうか。
 結局シンタローという拠所に甘んじているに過ぎない。けれど、心は断然前へと向く。生きる意味を見出せる。

 願わくは、自分が送り出すことによって、彼の魂が然るべき場所へ還りつかんことを。



何気にちょくちょく出てきてるDr.高松。
本格登場は次回になりそう。あと一息。がんばれ自分(笑)

CH5を少し意識してます。といっても、1回流し読みした程度なので、記憶に残ってないも同然ですが(そして複雑すぎてよく理解できてないのですが)
私の記憶に残っているのは
 ・ジャンがいること(まともに見えて毀れてる?)
 ・高松も生きていること(毀れてるようで、実はまとも?)
 ・サービスに関して、ジャンは高松に負けたという過去がある
……なんですね。
それを形にしてみよう、ということでこの話はできました。
自己満足の自己完結な話でした。

文中には現れてませんが、この話を書いてるときは、「ジャン→サビ かつ サビ→ジャン」も意識してました。
両想いなんだけれど、それぞれ自分が相手を想っているように相手は自分を想ってくれていない。
それぞれが片想いをしてる、というなんとも切ない(笑)関係を書きたかったんですけど。
余裕と、それを書くだけの技術がなかったです(沈)
この話におけるサービスのジャンへの想いなんてのも書いてみたいと思いつつ書かなかったのは、その想いがどんなものだったか、私としても実はわからないから誤魔化しておきたい、ということの表れだったりするから困ったものです。
ジャンとサービスに関しては、ジャンサビなのかサビジャンなのか、自分の中では決まってなかったりするんですよねー。一体どっちなんだろ、自分。

ちなみに、水杯とは「再会を予期できない時などに交わす」別れの杯のことを指すそうです。

上記「ジャン→サビ かつ サビ→ジャン」について、ちょこちょこっと書いてみたものが蔵に置いてあったりします。
18禁ではないです。表に置くほどでもないシロモノなので…