text : PAPUWA the parallelos
[ 然るべき場所へ #3 今は亡き君の想い ]
「総監の地位を辞退するそうですね」
世界政府の全貌はほぼ明らかになっていたのだが、しかし、そのトップに就く人物の名は未だ伏せられていた。決定していないから、ではない。誰もが推す人物が、それを渋っていたからだ。
その張本人が、顔を上げて笑った。
「相変わらず情報が早いな」
不敵な笑み、しかし、どこか虚脱感に満ちた。シンタローのその貌に、高松もまた笑って肩を竦めた。
「ガンマ団が世界政府直轄組織として組み込まれても、アナタはもう関与しないつもりなのですね」
「そのつもりだけどな。ま、簡単にはいかないみたいだが」
そのことで俺からも話があったんだ、とシンタローはそれまでの諦めを滲ませた表情を、すっと元総帥の貌へと変化させた。
「このガンマ団本部が世界政府本部になる予定だ」
「研究環境が維持できるのでしたら、どこでも文句は言いませんよ。ただ、あの島の自然だけは壊したくありませんね」
「――ホント、アンタは一を聞いて十を知るな」
「でなければ科学者やっていく資格ありませんよ」
カルテを見ながら素っ気なく言ってのける高松に、シンタローは失笑せざるをえない。しかし、普段通りの彼に、どこか安心もしていた。
シンタローは定期健診にやって来ていた。不老の身体になったことで、一般の医者にかかることができなくなって。第一のパプワ島での事件以来、シンタローの主治医は高松が務めている。
異常は見られませんねと言う高松に、シンタローはつい先程決定した事項について記された書類を手渡した。今後のこの研究室の扱いについて記されているものだった。
ドクター高松が籍を置く研究室は、ガンマ団総帥の直属機関としてそれまで機能してきた。研究内容が総帥の私的分野であること、世間一般にはおよそ理解されないような内容であることがその理由に挙げられていた。
およそ理解されない内容――それは、不老不死に関する研究だった。
古来、人間は永遠を求めてきた。それは、権力を持つものほど顕著で、衰退を恐れてのことだった。
確かにシンタローは、今現在もっとも権力を持つ人間だろう。世界政府樹立を唱え、そのために世界の意思を統率した。ガンマ団が内包する軍事力は世界一のもので、それを支えるだけの財政基盤を持ち合わせている。事実上、世界の支配者だ。その上で永遠の命を求めてもおかしくはない。そのために、ガンマ団でもトップクラスの科学者にその研究を任せていても、歴史上の権力者の傾向を見ても何ら不思議はない。
しかし、シンタローがドクター高松に求めているのはそれではなかった。そんな研究を命じる必要はなかった。なぜなら、シンタローは既に不老の身体を手に入れているのだから。
「――すまなかったな、ドクター。折角作ってくれたクスリ、無駄にしちまって」
確かに命じてはいなかった。しかし、ドクター高松はその研究に手を出していた。いや、手を貸していた、といった方が事実かもしれない。中心となって研究していたのは、高松と同期で、かつてガンマ団に在籍していた男、シンタローと同じ貌を持つ男、ジャンだった。
シンタローは、どういう目的があってジャンがこの研究に携わっていたのか知らない。ただ、研究の経緯、ジャンが自分の身体を分析することによって、そのメカニズムを解明したということは報告書で知った。
解明されたメカニズムを元に、ジャンと高松は不老になる薬を開発した。そして高松自ら、その実験体となった。
完全とはいえない薬、拒絶反応を起こせば間違いなく死亡すると言われたその薬を、高松は何の躊躇いもなく服用したという。致死率80%という、自らはじき出したデータがあるにも関わらず。
その結果、高松もまた不老の身体を手に入れた。シンタローと、ジャンと、同じように。
――後悔はしていませんよ。時間を気にすることなく、自分の好きな研究に没頭することができるんですからね。
薬を服用したとシンタローが聞いて高松のもとを訪れた時、彼は何の感慨もないように言った。後悔しているようには見えなかった。けれど、その結果を歓迎しているようにも見えなかった。本当に不老になったかは、あと100年ばかり生きてみないことにはわかりませんよ――そう笑ったことだけは確かだった。
それから数日後のことだ。キンタローが、高松にその薬を譲ってくれるよう依頼したのは。高松は承諾した。もう少し満足のいくものができたらお渡しするかもしれませんねと、そう返事をしたのだという。
「ええ、確かに。惜しいことです」
シンタローの謝罪に、高松は嘆息して答えた。高松が、自分が不老になるために薬の開発に手を貸していたというのなら、これ以上の改良は必要なかったのかもしれない。言ってみれば、この薬は悪魔の薬だ。自然の摂理を乱し、いらぬ争いを生み出しかねない。高松は、そのことを理解していたはずだ。いらぬ争いほど愚かなものはないと、その種を生み出すようなことはしなかっただろう。キンタローが、望まなければ。
そんな風にシンタローが考えていると、高松は柔らかい表情を浮かべた。
「勘違いしないでください。クスリを無駄にしたことを言っているのではありませんよ。あのように優秀で純粋なお方を亡くしたのは、人類にとって大きな損失だと、そう言いたいのです」
「ドクターは、キンタローにも不老になってほしかったか?」
「彼がそう望んでいたのだったら、私はその意思を尊重しますよ」
「――アンタにとっては、ルーザーの息子でもあるんだもんな」
高松と、そしてシンタローの叔父であるサービスが、同じく叔父であるルーザーを敬愛していたということは話に聞いていた。復讐のために、生まれたばかりのマジックの息子とルーザーの息子を摩り替えてしまった程に。
先程まで以上に、高松は優しい笑みで言った。
「私にとって、アナタも同じような存在なのですよ」
「どーいう意味だよ」
「お忘れですか? 私は20年以上、アナタをルーザー様のご子息と見てきたのですよ」
「じゃあ何だ? グンマはどーなんだよ」
すると、高松は瞬時に顔を輝かせた。マズイ――シンタローがそう思うよりも早く、高松は立ち上がった。
「グンマ様はまた特別ですよ。あの方の屈託無さに私は何度救われてきたか。見目もまた日に日に麗しくなられて最近ではまたようやく成人男性の色気も僅かではありますが見え隠れするようになりしかし決して童心をお忘れになることもなく斬新な発明にとりかかられており――」
「わーった!アンタのグンマへの愛情がどれだけ深いかはよーっくわかってる!!」
たとえ設備にそれなりの対策は施してあるとはいえ、ここで大量の鼻血を噴かれては困るとシンタローは高松のグンマ様講釈を慌てて打ち切った。あぶないあぶない、と息をついたシンタローが改めて高松を見ると、先程の悦に入った貌とは一転、悲愴な面持ちをしていた。
「――グンマ様も、さぞお悲しみでしょうね」
「ああ。ここ数年、それなりに大人びていたからな。その反動と思えるくらい錯乱しているよ」
しかし、そこは成長したというべきか、シンタローを始めとする近しい者だけにしか分からないような錯乱だ。特に、シンタローのことを想ってか、シンタローの前では気丈に振舞ってみせる。そこがまた意地らしかった。
「お傍で、お支えして差し上げたいのですけどね」
「今ならまだ構わないぞ。その決定事項が有効になるのはまだ先だ」
この研究室では不老という悪魔の囁きともとれかねない研究がなされている。しかし、それを応用すれば、不老という、自然の摂理から外れる行為は犯さずに、さまざまな病から人々を救う手法が見出せるのではないか。高松らの研究内容を知っている上層部の面々はそう判断し、今まである程度目を瞑ってきた。しかし、世間にその研究内容が知られるのは困るとして、その研究室はガンマ団でも高セキュリティ区域に設けられていた。
その極秘研究室も、ガンマ団本部が世界政府本部ともなるとまた話は別になってくる。機密が漏れるのも時間の問題だ。そういうわけで、研究室の移転が決定されたのだ。移転先は、予てから高松が興味を示していたあの場所。聖域とも、楽園とも呼ばれたあの島――ノアの方舟が飛び去った、あの島だった。
悪魔の囁きに魅入られた永遠の命を持つ者がそうそう世間に出られても困る。だから、発足前の、後の世界政府高官になる者たちはこのように決定を下した。研究に必要な環境は全てこちらが保証しよう。その代わり、君たちは決して外界と関わってはならない。次元を歪めてでも、その研究所に部外者が侵入しないように心がけなければならない――と。
「アナタは落ち着いていますね。アナタが一番落ち込んでいそうなものなのに」
ページを繰る一瞬、高松はシンタローに視線を向ける。シンタローは、大仰におどけて見せた。
「後悔なら死ぬほどしてるさ。あの時俺が止めなければ、今もどこかで生きていて、そのうちひょっこり姿を見せるんじゃないかって」
「そう、ですね」
「でも、手が出たんじゃ、な……」
命令としては打ち切られたキンタロー捜索、しかし、シンタローと捜索隊の一部は個人的に捜索を続けていた。僅かな希望を求め、生存の可能性を捜していた。しかし、見つかるのは絶望的な結末を予測させるものばかりで。決定的なものが先日発見された。人間の、左手首だった。
DNA鑑定にも回して、それがキンタローのものであると確認された。鑑定を行ったのは高松だった。高松の口から、シンタローは真実を告げられたのだ。キンタローが生きている可能性は、もう、まったく見込めないと。
それまで必死に否定しようとしてきた。しかし、否定しようとしていたということは、どこかでそれを認めていたということで。その時シンタローは、周囲が想像していたほど取り乱したりはしなかった。
「アナタが自分を悔やむのなら、私にも責はありますね。アナタが躊躇した原因は、クスリが完璧なモノではなかったからでしょう?」
「違うよ、ドクター。たとえ致死率0%でも、俺は止めていたと思う」
「何故、ですか?」
「怖かったんだよ。俺のためだけに、アイツの人生のスベテをもらうことが」
「しかし、それはあの方が望んだことでしょう? あの方がそれを望んだというのなら、それを受け入れるだけだったでしょうに」
「それでも怖かったんだ。たとえ身体は永遠にこの世界に繋ぎとめておけるとしても、人の気持ちまでは繋ぎとめておけないだろう? アイツが俺を見限った時、アイツは絶対に後悔するから」
「キンタロー様を信じていなかったのですか」
「信じていたさ。だからこそ、怖かった。いつまでもアイツだけを想っていられるか。俺の中にいるのは、ヒトリだけじゃないんだよ」
自分が信じられないから、だからキンタローを引き込むことができなかった。一緒に生きてほしいとは思った、けれど、そうキンタローに縋れるほど、自分はキンタローだけを想っていられるだろうか?
今、シンタローはジャンを通してパプワ島の行方を探っている。ジャンが移動手段を完成させ、赤の秘石の波動を追いその場所を突き止める。そしてコタローと共にもう1度あの島を訪れる。――それが、今のシンタローの最大の望みだ。しかし、その望みは、それだけでとどまるものだろうか。その望みの向こうには、あの男との再会というオマケもついてくる。それこそを望んでいる自分が居はしないか。
「誰かヒトリだけを想っていなければいけないとは言いませんが。それでも、キンタロー様の想い――アナタと一緒に生きていきたかったという想いは、もう誰も変えることはできないのですよ。キンタロー様の気持ちを変えられるのはキンタロー様自身だけ。そのキンタロー様はもういないのですから」
いつの間に淹れたのだろうか、シンタローの前に湯気の立ち上がるカップが差し出された。受け取った紅茶には、当惑した表情の自分が映っていた。
そう、キンタローはもういない。キンタローの想いを否定できる者は、キンタローを除いて誰もいない。キンタローの想いは、キンタローが死んだ瞬間、凍りついて、永遠にそのままで保存されることになったのだ。シンタローだけを想う、その心のままで。
キンタローは逝ってしまった。シンタローの心に、揺れる余地があるということを知らないまま。そして、そのままのキンタローの想いだけが、この世に縛り付けられる。シンタローという拠所を介して。シンタローを縛り付けることによって。
――結局、信じることができてなかったってことか?
そしてこれは、信じられなかったことに対する罰なのだろうか。罰だとしても、キンタローが下した罰ではない。シンタローが、シンタロー自身を許せなくて科した罰だ。心にあった空白に、キンタロー以外の人間が入ることを恐れて。躊躇っている間に、キンタローを死なせてしまって。
高松の言葉に、シンタローは虚を衝かれていた。ある意味、これは望むべき結果だったのかもしれないと、気づいてしまったから。キンタローと永遠に引き裂かれてしまったことは、もちろん苦痛でしかない。けれど、そのことによって、キンタローは永遠にシンタローの中に生き続ける。キンタローだけを想っていなければならないと、縛られていることができる。それは、自発的に想うよりも、ずっと楽かもしれない。
楽な方に逃げていいのか? 罰を受けなければならない身で、キンタローの死に囚われているフリをしていいのだろうか? 利用するような形でいいのか?
けれど、これだけは確かだ。それまであったシンタローの心の空白は埋められた。それまで以上に、キンタローによって占められている部分が広くなった。キンタローがシンタローを想っていた広さに比べると、シンタローが彼を想う広さは小さなものなのかもしれない。けれど、その広さがこの先揺らぐことはないだろうと、シンタローは今は亡き人を想う。
失ってやっと本気で想うことができたなんて、キンタローが知ったらどう想うだろうか。眉を顰めるだろうか。想ってくれることに変わりないからと微笑んでくれるだろうか。
本当のところはどちらか分からない。キンタローはもういないのだから。けれど、どちらの貌も瞬時に脳裏に浮かんで、シンタローは、キンタローが今も自分の中に生きていることを知る。
「さて、研究室移転の準備に取り掛かるとしますか。時間は掛かりますよ。世界政府正式樹立に、研究所の完成は間に合うのですか?」
自らの分の紅茶を味わった高松は、立ち上がり言った。シンタローもまた、退室するために立ち上がる。
「完成するまではここにいればいいさ。それまでは連中も何とか誤魔化す気でいるらしい」
「そうですか。――アナタも来ますか? アナタもまた、彼らの言う悪魔の所業に絡め取られた存在ですが」
「総監は辞退できても、事後処理までは放り出せないからな。俺に関する一切の記録を抹消することを条件に、いくらか協力することになってはいる。全部を全部、コタローに任せるわけにもいかないからな」
「総監にはコタロー様が就かれるのですね」
「これはまだトップシークレットだからな。その辺はよろしく頼む」
「これから外界との繋がりを絶つという私に、その機密を流すことによって得られるメリットがあると思いますか?」
「そう、だな――」
今後の生き様に対する決意を語るかのような高松の言葉に、シンタローも今後の自分について考える。当面の自分は世界政府樹立に関わる事務と、ガンマ団解散後の処理に追われるだろう。それが終われば、パプワ島の行方を探るジャンの手伝いをすればいい。そして、その後は――? パプワ島へ向かって、辿り着いて、その後は?
シンタローは心の中のキンタローに問う。オマエ以外の誰かのために、生きた方がいいか、と。
確かにシンタローの、キンタローを想う心の広さは今より狭くなることはないだろう。けれど、その時の心の状態を、シンタローは想像することができない。どんな人間が、新たにシンタローの心に現れるか分からない。
今のままでいけば、きっと自分は生きる意味を見失ってしまうだろう。それでいいだろうか。それとも、その時一番心を占める誰かのために生きるべきだろうか。
「行きますか。私達がいるべき場所へ――」
然るべき場所へ。
本当に自分が居るべき場所なのか。居ていい場所なのか。
キンタローのために生きるのか、他の誰かのために生きるのか。
行ってみなければわからない、か――。
今思えば、この番外編を書きたかっただけなのかもしれない、と思ったり
燃え尽きた感があるのはそのせいか……
孫シンシリーズとか言いながら、この設定での番外編、もひとつ考えてあるんですよねー
高松と、「ダイヤグラム」で出てくるグンマ孫の話とか…
書く日はやってくる の か?