text : SUMMON NIGHT
[ 強さを求める理由 ]
その話を聞いたとき、おれは彼のことを思い出していたのかもしれない。
目の前にいるこの少年と、幼いあの日の彼が重なって見えた。
――僕は強くならなければいけないんだ。
今でもあの時の彼の声を思い出すことができる。
今は遠い世界にいる彼の声を。
彼の家が剣術道場をやっているということは噂で知っていた。
けれど、おれがそれを自分で知ったのはあの日だ。
河原で夕陽を眺める彼に会った、あの日。
おれはあの日、母親を……おれのせいで亡くしたことで、ひとり泣きながら堤防横の畦道を歩いていた。
本当に泣くべきはおれじゃないことは分かっていた。
だから、誰にも涙は見せられないと、母親が息を引き取った病院を抜け出したんだ。
普段なら、やっと涼しくなったと喜んでいた風も、この日は涙に濡れた目に痛かった。
横からおれを見ている夕陽は、おれにあの血の惨劇を思い出させていた。
どこにいっても、おれは責められているような気がしていた。
何もかもが、誰もかれもが、どこまでもおれを監視していて、責め苛んで。
そんな時、おれは「あの」籐矢に会った。
袴を着ていて、それで彼が道場の息子だということを自分で意識したわけだ。
けれど、おれの意識が集中したのはそこではなかった。
袴に身を包んだ彼は背筋をすっと伸ばし、真っ直ぐな目で、おれが逃げたかったあの太陽を凝視していた。
それは強い、けれども弱いという矛盾を含んだ視線で、同時に悲しさが溢れていた。
おれは、自分が泣いていたことを忘れていた。
それよりも彼のことが気になって。
その悲しみの理由が知りたかったんだ。
悲しんでいる同志を見つけて満足したいわけじゃなかった。
おれが悲しんでいることよりも悲しむべきことがあるのか、それを確かめたかったわけでもない。
その時はそう思った理由は分からなかった。けれど今思えば、それは彼に惹かれていたということなのかもしれない。
その日、おれは籐矢の気分を害してしまって、彼は怒って帰ってしまったけれど。
おれ達は誰も知らない絆で結ばれることになった。
学校ではそれ程でもなかったけれど、おれは籐矢と親友になれたと思っている。
だから、時たま彼が自分のことを話してくれるのは嬉しかった。
おれが訊いたらだいたい応えてくれたし、籐矢もおれのことに興味を持ってくれた。
いつしかおれは、籐矢がその身を投じる剣術に興味を持つようになっていた。
合同の体育の授業で見せる籐矢のずば抜けた運動神経に憧れていたのかもしれない。
あれはきっと普段から彼が身体を鍛えているからで、おれもそうなりたい、って思うようになっていた。
ある日、おれは剣術に興味があることを籐矢に話した。
すると彼は、入門してみるかと声をかけてくれた。
深崎流に入門した時、初めて籐矢の家に行ったわけだけど。
その時の驚きといったらなかった。
おれはそれまで、これほどの豪邸を見たことはなかった。
道場のある家だから、それなりに大きいのだとは思っていたけれど、それとは比べ物にならなかった。
丘ひとつ全てが彼の家の土地なのではないかと思ったほどだ――実際、それは違ってはいなかったうえに、深崎家の所有する土地はさらに広域にわたっていたのだけれど。
初日は稽古を見学させてもらって、終わった後には竹刀を握らせてもらった。
師範である籐矢のお父さんにも会った。
とても熱心に指導してくれたのを覚えている。
師範だけじゃない、門下生のみんなもおれを温かく迎えてくれて――。
それがこの道場の雰囲気なのだと、その時のおれは思い込んでいた。
おれが異変に気付いたのは、本格的な稽古が始まってしばらくしてからのことだった。
おれの面倒を何かと見てくれたのは籐矢だった。
籐矢が教えてくれることを、おれは必死で覚えようとしていたし、だからこそ、彼の道場内での様子をいつも見ていた。
周りの年長者から、型から外れた攻撃をその身に受けながら、それでも立ち向かっていく彼の姿を、おれは何度も何度も見ていたんだ。
体格も経験も技量も上の者から、籐矢は何度も同じような仕打ちを受けていた。
しかもそれは集団的で、師範の目に映らないところでなされていた。
子供だったおれにも、それは理不尽ないじめに映っていた。
見えないところに痣を作り、呼吸を乱し、振り下ろされる刀に臆することなく向かっていく、けれどその反撃は空振りに終わり、何倍にもなって返ってくる。
おれは、その光景を見ることに耐えかねて、籐矢に言った。
このままでいいのか。やめさせるよう、小父さんに言った方がよくはないのか、と。
腫れた顔を冷たい水で洗った彼は、涼しい顔で言った。
自分が強くなれば済む話なのだ、と。
もちろん、おれはそれでは納得できなかった。
すると、籐矢はおれの顔を真っ直ぐに見た。
その視線は強いものだったけれど、あの日の視線同様、弱いところ、悲しみに満ちたところが見てとれた。
籐矢自身は隠しているけれど、隠し切れなくて滲み出ているという感じだった。
彼は言った。
『僕は強くならなければならないんだ。
そうでなければここにいる意味がない。
強くなることが、父さんへのせめてもの償いだから』
強くなるためだから願ったりなんだ、と籐矢は締めくくった。
これ以上彼は何も言わなかったし、訊くこともできなかった。
その時おれは、彼と小父さんが本当の親子じゃないということを知らなかった。
何も分かっていなかったんだ。
だから籐矢のその言葉の意味も、その裏にある彼の心も、何も理解することができなかったんだ。
ここからはおれの、勝手な憶測でしかないけれど。
籐矢と小父さんが本当の親子ではないということを聞いたとき、おれは思った。
籐矢のあの頃の心、あの言葉――それは、自分の存在意義を必死で探していた彼を表していたんじゃないかって。
あの事実を籐矢から聞いた後も、おれには籐矢と小父さんは本当の親子に見えていた。
それは小父さんが注いでいる愛情を籐矢も受け止め、それ以上のものを小父さんに返していたからだ。
血が繋がっていなくても、これほど親子になれるものなんだと、おれは思った。
けれど籐矢はどこかで悩んでいたんだと思う。
本当の親子ではないから、自分があの家にいる理由が見つからなくて。
でも、世間的には本当の親子で、傍目にもそう見えていて。
深崎流を継ぐのも目に見えていた。
籐矢を目の敵にしていた連中も、それを見越して師範に可愛がられているのだと勘違いして籐矢に嫌がらせをしていたんだ。
けれども、内実はそうじゃない。
籐矢自身も、小父さんの愛情を感じていただろうけれど、それでは納得できなかったのだと思う。
あの場所に自分がいるのに見合う力を持っていなければならないと、幼いながらに自覚していたんだ。
中学に進学したおれは、部活のバスケに夢中になった(低い身長を気にしてバスケに転向したなんてことは公には言えないけれど)。
籐矢の家の道場に通うことはなくなったけれど、一応今でも深崎流の門下にある。
籐矢の家に遊びに行く時は、気分転換に木刀を握らせてもらう。
小学生だった頃の自分がよく思い出された。
道場に行かなくなってからの籐矢と道場の連中との関係のことを、おれは詳しくは知らない。
けれど、あのような状況が続いているとは考えられなかった。
籐矢の実力が、全国でもトップクラスにあるということを見ればそれも明らかだろう。
中学生にして、高校生の部はおろか、一般の部においてでさえ入賞することはざらだった。
籐矢は、自身の言葉を現実のものとした。
自分の居場所を、自分で作り出すことできた。
その強さにおれは今でも憧れている。
そして、そんな強さを持ちながら、今でも弱い部分を見せる彼に心惹かれる。
高校も離れた今となっては、昔ほど頻繁に彼と会うことはできなくなっていた。
おれにも籐矢にも、それぞれの生活がある。
けれど、おれがあの場所に行けば、いつも籐矢はそこにいた。
河原からあの公園へその場所は移動したけれど、おれ達2人の場所であることは変わりない。
リィンバウムに来て気になっているのは、籐矢のことだった。
あの場所に現れないおれのことを心配して、そしておれがいなくなったということを知るんじゃないかって。
たとえ元の世界に帰れないとしても、おれはそれを受け入れる覚悟はできている。
けれど向こうでは、おれがここにいるということは何も分かっていない。
生きているのかいないかも分からない状況で、不安に支配された心で生活していかなければならない。
親父は永遠におれのことを引き摺っていきそうで。
――そして籐矢も。
決して思い上がってるわけじゃない。
けれど、確信はあった。
――彼は今、どうしているんだろう。
「――ぃちゃん……ハヤト兄ちゃん、どうしたの?」
おれはアルバの声に我に返った。
そうだ、アルバと話をしていたんだった。
アルバも、道場で嫌がらせに遭っていて、それで――。
「いや、なんでもないよ。
それより、よかったな。きちんと解決できて」
言うと、アルバは嬉しそうに頷いた。
ありがとう、と彼は言うけれど、おれは自分では何もしていない。
自分で考えて彼に伝えた言葉は、ほとんどなかったに等しい。
強くなりたいといっていたアルバ。
おれは彼には強くなって欲しいと思っていた。
アルバの置かれていた状況は、かつての籐矢の周囲と酷似していた。
強くなって道場での居場所を作った籐矢のようになって欲しい、そう思って、おれはあの当時のことを思い出しながらアルバに言った。
ここで逃げ出したら、自分も相手も間違ったことをしてしまうことになる。
それを正すためにも戦わなければならないと。
強くなるためには戦わなければいけないんだと。
アルバは強い心を手に入れていた。
このまま順調に進めば、彼は力としての強さを手に入れることもできるとおれは思っている。
さすがに籐矢のように、いきなり全ての強さを手に入れることはできないとは思うけれど。
おれの目にも、籐矢の強さは異常に映っているくらいだし。
そう、籐矢は強い。
けれど、弱い。
今、その弱さゆえに苦しんでいなければいいけれど。
この世界に来てから、自分のことを考えるだけで精一杯だった。
でも、一度思い出すと、物凄く恋しくなってくるな。
籐矢のことを考えて、早く元の世界に帰らなければと思う自分がいる。
けれど、ここでやらなければいけないことがある。
そして、放っておけない人がいるのも確かだ。
帰るのなら、全てを解決してからだと思う。
けれど、長くいればいるほど、おれは帰りたくなくなるかもしれない。
「ハヤト……。ここにいたのか」
不意に声をかけられて、おれは振り返った。
「ああ、キール。どうしたんだ?」
「いや、ちょっと……。気分転換に散歩に行こうと思っただけだよ」
散歩……方向からして川の方だ。
陽は山の端にその姿を隠そうとしている。
夕暮れ時の河辺、か。
「そっか。おれも行っていいかな。
なんだか、水の流れる景色を見たくなって」
「え……あ、ああ……」
アルバと別れたおれは、キールと共に川を目指す。
そういえば、誰かと川に向かうというのはなかなかない経験だった。
おれが川に行くのは籐矢に会うためだったから。
誰にも邪魔されたくなかったんだ。
「どうしたんだ、ハヤト。なんだかいつもと違うけど……」
どうやらおれは黙り込んでいたらしい。
キールが覗き込むようにしておれの目を見ていた。
「そう、かな。……うん、そうかもしれないな。
ちょっと、ね」
でもなんでもないんだ、とキールには笑って見せた。
彼の前では、元の世界のことを考えていたなんて言えないから。
そう、今は元の世界のことを考えている余裕はないのかもしれない。
目の前にやらなければいけないことがあるときに別のことを考えているなんて、おれにはそんな器用なことはできない。
――今のおれにできること。
未だ釈然としないような表情を浮かべているキールの手をおれは引いた。
「ほら、そんなことより。
早く行かないと、陽が沈むまでに帰れないぜ」
守りたいものを守る。
今おれにできるのはそれだけだ。
そのために強くなって、そして。
強くなっておれは元の世界に帰る。
強いけれど弱い、大切な彼を守れる強さを手に入れて。
ここにきて、トウハヤというよりも、トウヤに入れ込んでいる自分に気付きましたですよ。
社長子息、剣道少年、クールで強い!!うわぁ、自分で妄想しておいて、なんてツボな設定なんだろう(笑)
ダメだ、このままだとキーハヤが書けなくなる。
今回もちろっとキールを出してみたけれど。
ハヤトはトウヤに夢中だし(笑)
ホントにキールの立場がねぇや……