text : SUMMON NIGHT

[ 真冬の帰郷 前編 ]


まず初めにほっとした。
何より彼が帰ってきたから。

次にようやく驚いた。
目の前にいきなり彼が現れたことに。
頭は考えられる全ての答えを導き出し、しかしそれらはあてはまらないと結論をだす。

彼の声にやっと我に返り、自分の中に疑問が溢れだす。
今までどこにいた、あの日何があった、身体はなんともないのか……どれから言うべきか迷って、結局何も言えなくなる。
言葉に詰まってしまって数瞬後の、彼の笑顔と「ただいま」の言葉。
これにこみ上げた疑問はたちまち薄れてしまった。

冬の日暮れは早い。
吹き荒む風は高台のこの公園に人を寄せ付けようとしなかった。
しかし、人気がないのは、時間帯のせいでも、立地条件のせいでも、そしてこの気候のせいでもないことを籐矢はわかっていた。
誰も、近寄らなくなっていたのだ。
高校生の少年が、ここで姿を消してしまったから。
遊び盛りの子ども達にとって、ここは格好の遊び場だっただろう。
しかし、親がそれを許さなかった。
我が子が同じ目に遭ったらと、自分かわいさの想い、ただそれだけだった。
あれからこの公園を訪れる者があったとしたら、それは事件を調査する警察と、半分興味本位で記事を書きたてるマスコミと、野次馬根性旺盛な近場の人間と、そして、彼を本気で心配する家族と籐矢くらいだった。
籐矢以外は、これまでの公園にはなかった姿、いわば異分子で、それらは一時的なものだった。
だから、事件が遠い日となるにつれて、その影は少なくなっていった。
そして、2ヶ月が経った今では、以前の静けさを取り戻しつつあった。

「違う世界に、行っていたんだ」

信じられないかもしれないけど、と前置いてから勇人は言った。
勇人が言ったことであること、勇人がこれ以上ないほど真面目な貌をしていること、それらを含めて籐矢はその言葉を信じた。
――信じたいと思った。
しかし、それは容易なことではなかった。
勇人が語ろうと、それが突拍子もないことであることは変わりない。
理解するには時間がかかった。
それを見越してか、勇人はゆっくりと語った。

異世界リィンバゥム、そこで巻き込まれた事件、召喚術――全てを話し終えたところで、一瞬、勇人は悲しげな表情を見せた。
それは、籐矢も知らない貌だった。

「おれはこの世界に戻ってきたかったけど、でも、あの人たちと別れるのはやっぱり辛かった」

籐矢には、勇人が随分と大人びて見えていた。
様々な経験を経て、今ここにいる。

勇人がいない間、籐矢は抜け殻のように日々を送っていた。
傍目にはそうでもなかったかもしれないが、自分では確かに感じていた。
ぽっかりとあいた穴――そんな言葉どおりのことなんて起こるはずないと考えていた昔が嘘のよう。
自分が父親の本当の息子ではないと聞かされたあの出来事以上に、自分を出口のない迷路に陥れるものがあるとは思わなかった。

彼はどこにいるのだろうか。
無事でいるのだろうか。
笑って、いるのだろうか。

脳裏を掠めては、それだけが頭の中を支配していって。
勉強しながらも、剣の稽古をしながらも、寝ていながらも、考えることは全て同じで。
この状況を救える者は、勇人以外にありえなかった。

そんなやりきれない日々の中、別の場所で勇人は生きていた。
自分以外の誰かと過ごしていた。
自分の知らない経験をして、そして大きくなった。

置いていかれたようで寂しいとか、そういう意味ではない。
自分の知らない彼になってしまったようで哀しいというわけでもない。
大人になれた彼が羨ましいこともない。

別れて生きていた日々――そんな日々から勇人を救えるのは、自分ではなかった。

それが、寂しくて、妬ましくて、――悔しかった。

別れて生きていた日々が、彼にとって苦痛ではなかったとしても。
救い出すという表現が間違っていたとしても。

自分を救える者は彼でしかないのに、彼を救える者は自分とは限らない。
その可能性に気付いてしまった。

理不尽な想いだと思う。
ちゃちな独占欲だとも思う。
けれど、その想いは自分ではどうしようもできない。
吐き出してしまうこともできない。
成就させることもできない。

黙りこむ籐矢を、勇人は覗き込んでくる。
やっぱり信じられないよな――と、彼がそう思っているのは、口に出さずとも手に取るようにわかる。
違う、違うんだ勇人――籐矢は首を振った。
ただ、自分の愚かさに吐き気がしていただけ。
こんな自分など見せられない、そう思った。
彼はこんなにも成長しているのに、自分はまったく変わらない。
それどころか、こんなに酷く醜くなって。

マフラーの下の口元から漏れる自身の吐息だけがあたたかかった。
しかし、それをあたたかいと感じるのはほんの一瞬で。
寒々しい風が、丸裸にされた心に身体に冷たく染み入る。
頬はなかば麻痺して感覚を失っていた。
が。
籐矢はそこを、何かが伝っていく感触を感じていた。
何だろう、と手を伸べてみれば、それは、気付かなければ凍ってしまったかもしれない彼自身の涙であった。

何故?
それは彼自身思ったことであった。
寒い中、ずっと目を開けていれば自然と目は涙ぐんでいくものだけれど、今のこの涙はそれではないはずだ。
明らかに質が違う。
そしてそれは安堵の涙でもないはずだ。
それならば、勇人の姿を見つけた時点で流れていそうなものだ。
それに、自分の醜態を恥じて涙することができるほど自分は理想主義者ではない――そう籐矢は思っていた、はずだったのだけれど。

指に残る雫に目を奪われて言葉を失っていると、籐矢は視界が暗くなる感覚に見舞われた。
視界だけではない、身体にも変化が現れている。
何かが、触れている。
そんなふうにどこか他人事のように分析して、それからやっと我に返った。
自分は今勇人の腕の中にいるのだと、やっと気付くことができた。

「本当に、心配かけて、ごめん」

くぐもった勇人の声が真近くで聞こえた。
その声に、言葉に、籐矢は更なる喪失感を覚えた。
目や瞼に感覚は無い。
涙腺が刺激されているなんて感覚もない。
ただ、彼自身の意思に関係なく、涙はその言葉をきっかけにとめどなく流れていた。

 ――きっと、本能的な想いなんだ。

勇人に包まれながら、籐矢は目を閉じた。

今自分は涙している。
それは事実だ。
しかし、安堵して泣いている訳ではない。
この話の流れ、タイミングからして、自分はこのことで泣いたりはしないはず。
このことは勇人もわかっていそうなものなのに。

人の心ほど理解できないものはないと思う。
他人の心はもちろん、それが自分の心であれ。今涙を零している自分の心が解らないのと同様、今自分を抱いている彼の心も解らない。
所詮、そんなものなのだ。
この世に彼ほど自分を解ってくれる人はいないと思っていても、そこにはやはり限界はあって。
一方通行なところはあって。でも、その限界以上のところを、一方通行ではないやりとりを望んでいて。

それに気付いてしまったから、身を以って知ったから、自分は泣いているのだろうか。
温かい腕の中、籐矢は考えた。

温かいはずなのに、彼に包まれているはずなのに、冬の寒風がいつまでも痛かった。



ということで、"真冬の帰郷"前編でした。別名「籐矢編」。
このままでは消化不良なので、後編に続きます。前編が籐矢編というからには……ということです。
当然のことながら、キールの立場はないですよ(笑)

しかし…まだ勇人が帰ってきてから時間が経ってないのですよ。
いい加減、話進めろって感じですよね。