text : SUMMON NIGHT
[ 真冬の帰郷 後編 ]
思わず抱きしめてしまったのは、泣いている彼が寒そうだったから。
けれど、それは言い訳で。
本当の理由は、自分が寒かったから。
物理的に、ではない。
精神的に。
彼の心が、別の方を向いて、絶望しているから。
「本当に、心配かけて、ごめん」
勇人は籐矢をその腕の中に抱き、そう呟いた。
そう言うだけで、彼ならその先の、もっとも伝えたい核心を察してくれると思ったからだった。
今まで自分たちはそうしてきたのだから。
勇人は知っている。
彼が、言葉で表されたことよりも、態度から滲み出る気持ちをより大事にするということを。
だから。
けれど、それは叶わなかったのだと、彼のその後の態度で悟った。
より止め処なく涙を流し、声にならない嗚咽を漏らしている。
こんなに近くにいるからか、それともこれまでの彼との付き合いの経験のなす業か、勇人には籐矢の心が手に取るように解った――ような気がした。
(結局は他人、真に心を解することができるはずがない、か――)
きっと、こんなふうに籐矢は考えているんだろうな、と勇人は思う。
けれど、その内容に勇人は表情を硬くする。
そう、たとえ付き合いが長くとも、このように近くにいても、所詮他人、その心まで解るはずがない。
今、こうだろうと勇人が想定した籐矢の考えも、勇人が描いている籐矢ならこう考えるだろうという前提あってのものだ。
心というものは理解し難い、自分のものはもちろん、他人のものも。
間違っている可能性は多分にあるのだ。
でも、と今はその震える頭しか見えない籐矢を見下ろす。
漆黒の髪に手を滑り込ませる。
自分の知っていたものとは質が変わっていた。
明らかに痛んでいる。
この世界に帰ってくる瞬間、彼がそこにいてくれると感じていた。
自分の願望がもたらす予感だったのかもしれないが、それは真実に変わりなかった。
彼なら来てくれている、いつも自分たちが落ち合っていた時間に、もしかしたらという可能性を信じて、自分の帰りを待っていてくれるのだと。
それは真実だった。
のろけでも、過信でもない。
それだけ彼のことを理解っているのだと、そう確信できた瞬間だった。
だから、今、彼が思っているだろうと考えたことは間違っていないはずなのだ。
それを理解したうえで、余計寒くなる。
それだけ解かっていたはずなのに、彼が理解してくれるだろう言葉を投げかけたはずなのに、彼は理解してくれなかった。
彼を責めるつもりはない。
そう、『心というものは理解し難い』のだから。
責めるべくは、そこまで期待してしまった自分。
そんな彼の部分を理解できていなかった自分。
彼を責めるつもりはない、けれど心はとても寒くて。
勇人は抱きしめる力を一層強めた。
苦しさにもがき始めた腕の中の彼の存在を忘れてしまうくらい。
籐矢がうめき声をあげてはじめて、勇人はやっと我に返った。
「あ……ごめん、籐矢。苦しかったよな。それに――いきなりこんなことして」
「いや、僕の方こそ――って違うだろ!」
勇人の腕から解放された籐矢は、逆に今度は勇人の肩を掴みかかった。
「君は一体何をしてるんだ!?」
「え?だって、籐矢、寒そうだったから。その……なんていうか泣いてる姿がさ、すごく」
本当は違うけれど――その言葉は声に出さずに呑みこんだ。
代わりに自分でもこれはと思うほど無邪気な表情を浮かべて、だからおれの身体で温めてやろうと思って、と言ってみる。
籐矢は深く息をつき、首に巻かれたマフラーを解き、勇人の首にかけた。
「僕のことはいいっ。君の方が寒いに決まってるんだ。僕を見ろ。コートだって着込んでるし。君はいなくなった時のままの格好なんだぞ?」
「あ……そうか。あれからどれくらい経ってるんだ?あっちと時間の流れも違うかもしれないし」
「2ヶ月と5日だ」
「……ってことは、もうクリスマス前か……寒いはずだよ」
けれど、それは必ずしも季節のせいじゃないと勇人は自分の吐く息の白さを見て思う。
やっぱり寒いのは、心と心が触れ合っていないからで。
空を見て、目を閉じた。
瞼の下で、目が潤っているのがわかる。
目を開けたところで流れ出しはしないだろうが、きっと、冷たい風が痛く感じると思う。
「なぁ、籐矢……」
「何だ?」
「さっき……おれがいなくなってからの時間、すぐ言えたよな。数えててくれたんだ?」
「当たり前だろう。数えないはず……――ッ」
寒さに凍えていた肌が一気に赤くなって。
口元を押さえた籐矢は素早く貌を背けた。
その貌は、ばっちり勇人の目に映っていたけれど。
あまりのかわいさに、堪えきれずに勇人はふきだしてしまった。
「あはははっ……籐矢、なんか変わったな〜。前からこんなキャラだったっけ?」
「うるさいっ!」
「だってさっ!……くくくっ!耳まで真っ赤にしちゃって!」
「――――もういいっ!僕がどれだけ心配したかなんて、君には――っ」
「…………うん、わからない」
この言葉に、籐矢は弾かれたようにこちらを振り向いた。
いくらか傷ついたような表情を見せていた。
全部が全部そういう意味じゃないという思いを込めて、勇人は笑った。
少し、切ない笑みだったけれど。
「籐矢がおれを心配してくれてたらいいな、なんて漠然と考えてたけど。どれくらい心配してたかなんてわからない。これくらいかな、って想像しても、どれもおれの思い上がりになりそうで」
「勇人――」
「なぁ、どれくらい心配してくれてたんだ?おれが想像してたのと同じくらい?それとももっと?」
「――どう、答えたらいいんだ?」
「……わからない。――ごめん、籐矢を困らせるつもりは無かったんだ」
籐矢の痛そうな表情に、思わず俯いてしまった。
自分が不安に思っていることを解消させるために大事な人にそんな顔をさせてしまうなんて。
これでは優先順位がまったく逆じゃないか。
籐矢が笑っていてくれるなら、自分も笑えるのに――勇人は拳に力を込めた。
爪が皮膚に食い込んだけれど、そんなのは気にならなかった。
握られた拳に手が触れた。
止めろと優しく諭す。
「いや、僕の方こそ悪かった。質問に質問で返すなんて。卑怯だったな」
言って、今度は籐矢が勇人を引き寄せた。
包まれたそこは、勇人が包んでいたものよりももっと温かくて。
寒風にも耐えていた涙が、溶け出したように溢れて流れた。
「ごめんな、籐矢。心配かけて」
「その言葉はさっき聞いた。二度も同じ言葉はいらない」
「さっきの言葉とは意味合いが違うよ。今のは本当に言葉どおりの意味。――おれは勝手に消えてしまって、そのことで籐矢に心配かけた。だから」
「……じゃあ、さっきの『ごめん』は何だったんだよ」
「――言い方が悪かったんだろうな。訂正する。あの時はこう言いたかったんだ。『心配しないで』」
「『心配しないで』……?現在進行形か?」
「そう。今現在籐矢は心配している。だから、心配しないで。不安にならないでいいよ」
「何に対して」
「おれとの心のすれ違いに」
背中に回された手が、ぴくりと反応するのが勇人にはわかった。
その反応に勇人は些か安心した。
よかった、間違ってはいなかった。
それに、自分だけじゃなかった。
「おれも一緒だったんだ。心にすれ違いを感じていて。だから、『心配しないで』って言いたかった。籐矢だけじゃない、おれも籐矢と同じだから、心配しないで、って」
籐矢から身体を離して、目を見つめて言った。
涙を溜めている自分では説得力がなかったかもしれないが、それでも強く伝えたくて。
「正直、籐矢がどうして泣いたのかはわからない」
本当はわかっていたい。
わかっていると言ってやりたい。
けれど、言ってやりたいという気持ち以上に、籐矢には嘘をつきたくないという思いのほうが上回っていた。
「咄嗟に心配しないでって言ったけれど、心のすれ違いから流れた涙だとは思ったけれど、どんなすれ違いを感じていたのかはわからない」
勇人の言葉ひとつひとつに、籐矢は頷きを返してくれる。
それに安心して、勇人は言葉を続けることができた。
「でも、わかりたいと思っているから。籐矢は何も言わなくてもわかってくれることを望んでいるのかもしれないけれど、おれはそれができるほど出来た人間じゃない。こんなおれじゃあ、籐矢の隣にいる資格なんてないのかもしれないけれど」
勇人の言葉を切るように、籐矢は激しく首を振った。
そして、俯いて言った。
「言葉にしなくちゃ、わからないことがある――当たり前のことなのにな」
どうしてわからなかったんだろう、と籐矢はぽつりとこぼした。
「僕は、本当に醜くて愚かだ。そんな僕でも、君は許してくれるだろうか」
「許すも何も。隠そうとしなくていい。恥じなくてもいい。おれはありのままの籐矢が好きだから。おれには本当のところを見せてくれる籐矢が好きだから」
「勇人……――ありがとう」
夕闇に溶けていく互いの心。
寄り添う彼の温かい手が、それぞれが気付かなかった自分の心の奥底から真実の気持ちを取り出してくれる。
蟠りは、双方の心から跡形もなく消えていた。
後編、またの名を「勇人編」でした。
いつものことですけど…結局何が言いたかったのか。本人わかってません。ダメですね(苦笑)
結果的にどうなったかっていうと、籐矢と勇人が双方の愛を深め、キールのつけいる隙がますますなくなったってことですかね(笑)